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宇和海と生活文化(平成4年度)

(3)広い砂浜は集落のコミュニティ広場

 ア 浜は祭りの舞台

 シタテの半農半漁の生活を支えてきた浜は、先に述べたようなイリコの天日干し・放牧・脱穀・イモの切り干しなど、生活の糧を生み出す場としての役割のほかに、人々の心のより所としての役割ももっている。
 人々の楽しみは、昔も今も祭りである。大久の祭りには、みこしのほか南予地方独特の牛鬼や四ツ太鼓などが欠かせない。にぎやかな祭りの舞台は浜辺で、ほとんどの山車は人々の集まっている浜とその周辺を練り歩き、上の家々には行かない。集落の家々を巡るのは唐獅子だけである。
 このほか、昔大久に流れ着いた女の水死体の霊を慰める「しゃんしゃん踊り」という独特の奉納踊りがある。この踊りは九州(五島列島あるいは豊後)から習って帰ったと伝えられ、明治末に一時中断した際疫病がはやったとかで、その後再開し現在まで伝承されて、毎年9月1日に浜辺で奉納されている。
 また、端午の節句の鯉のぼりも、大久や川之浜では「屋根より高い」ところを泳がず浜辺で大海原をバックに雄大にはばたくのだと聞いた。
 さらに最近では、壮年会が中心となっているVA (Village Active)活動が、新しい祭りを定着させつつある。VA活動のきっかけについて、発案者の**さん(42歳)に聞いてみると、「そもそものきっかけは、昔の『5月の農休み』を復活させようということで、6年前に、大久の壮年(当時の年齢で45歳末満)に声をかけたのが始まりなんです。」と、教えてくれた。そうして今に続くのが、年に3回(初夏に1回、夏休みに2回)大久の浜で行われる地引き網大会である。「お客も大勢来ますよ。浜の周辺は車でいっぱいになります。」ということで、人気があるらしい。高齢化・過疎化が進行する中で、活気を呼び戻そうとする地元の熱意が感じられる。

 イ 別れの儀式

 各集落に集会所等が整備された今日でも、昔からの慣わしで葬式は浜で行うことが多い。座棺(ざがん)で埋葬していたころは、浜辺に集落の人々が集い、棺の上に「おむろ」を置いて葬式を行っていた。火葬になった今日でも、その名残りで、だびに付したお骨を拾ったあと、浜に「おむろ」(写真3-2-4参照)をしつらえて、人々が集まり葬儀を行う。
 「おむろ」について、八幡浜で仏具店を営む**さん(43歳)に尋ねた。店では「こし」と呼ぶそうで、八幡浜市内の野道具屋さんが作る。最近は、伊方町ではあまり用いられなくなったらしいが、瀬戸町から先の佐田岬半島の葬儀には欠かせないものらしい。一式が、4万円で売られていた。
 また、新盆には「おしょろ船」で霊を送る。新盆を迎える家の近所、親戚の「こうぐみ(以前は講中)」が、朝6時ころから作業を始め、昼くらいまでかけて、麦わらでおしょろ船を作る。技術は年寄りから伝わる。大勢で作るので、簡単にできる。大久の場合、亡くなった家の数だけ作るのではなく、地区ごとにもやい、全部で3~4そうをこしらえる。「高齢化が進んでも、この伝統はいつまでも絶えることなく伝えていける。」と、伝統をつなぐ自信に満ちた表情で、**さんは語った。

写真3-2-4 「おむろ」

写真3-2-4 「おむろ」

平成5年1月撮影