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愛媛学のすすめ

1 「山形学」創造の背景

 近年、国内の各地で新たに地域学を興そうという動きが盛んで、すでに幾つか軌道に乗った先例がある。先鞭をつけたものの中でよく知られているのは研究者や市民の研究グループによる江戸東京学であった。また、開港場としての独特の歴史をもつ横浜を研究する横浜学の成果も目覚ましいものがある。
 江戸東京学の提唱者の小木新造(1985)は、地域学をエリア学と呼び、「今日、日本にはエリア学として江戸学とか、沖縄学とか、秋田学と呼ばれる学問分野の独立が叫ばれつつあります。またヨーロッパにはロンドン学とか、ワルシャワ学が存在すると聞いています。」と書いている。この場合、エリア学とは一般に国家サイズよりは小さい地方ないしは都市を対象とするものを指している(愛媛学や「山形学」もこのエリア学、筆者の言い方では自地域学、である。)。
 小木はさらに「都市住民主体の学問分野として『江戸東京学』を成立させる必要性」を指摘し、東京都が建設した「江戸東京博物館」を支える重要な研究目標になると述べている。
 この例のような、都市在住の研究者が中心となって自然発生に近い形で成立しつつある地域学に対して、最近では地方自治体がその土台づくりや舞台の提供に積極的、主体的に関わっているものも増えつつある。
 後者のタイプに属するものとしては、筆者が参画ないし参加した東北地方のものにも「山形学」(山形県)、「東北学」(宮城県)、「飯豊学」(山形県飯豊町)、「大石田学」(山形県大石田町)などがある。
 それらには生涯学習の一環としての役割を担うことを目的としているものが多いが、なかには「東北学」のように、県の企画部門が中心となり、いわゆる地域おこしの一環として進められているものもある。
 「山形学」は、1980年代前半から、すでに社会教育と結び付けて、その必要性が識者によって説かれることがあったが、公的には、山形県第7次総合開発計画の答申(1985年)に「山形学(ふるさと学)」の語があり、この答申を受ける形で、同県の生涯学習センター基本構想にも、地域文化創出に関する調査研究の1項目として「ふるさとの自然や生活文化の理解に基づく郷土観の確立と『山形学(ふるさと学)』の形成に関する調査研究」が盛り込まれた。具体的には、総務部生涯教育振興局が、当時の打田早苗局長を中心に検討を始め、その部内での検討をもとに同局は、1988(昭和63)年度からは「山形学」創造企画会議を設けて、山形大学と東北大学などの関係分野の研究者による調査や討議を重ねた。筆者らの、この「山形学」創造企画会議による作業は、1990年に発足する山形県生涯学習センターの講座のなかに、先導的で、かつ地域に密着した講座として、「山形学」講座を開設しようとするに先立ち、その理論の構築や、手法などの検討を目的として行われたものである。
 創造企画会議は、まず第1に「山形学」はそもそも成り立ち得るかといった基本的な問題の検討から始め、具体的な講座の内容の構想に至るまでの広い問題をとりあげた。「山形学」づくりは、まずその会議の「山形カンカンガク学」からはじまったのであった。