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愛媛学のすすめ

地域調整学の無根性

 これは、先程の知事さんの御挨拶の中にもございましたけれども、実はこの八つの生活文化圏というものの連携調整ということを図る学としての愛媛学が成立し得るならば、それは次に四国学になっていくに違いないと思うからなのです。
 本四架橋ができるまで、数年間にわたりまして、四国は一つという、タイトルは「明日の四国を考えるシンポジウム」というのが、毎年高松でございました。私は合計6年間、香川県に通ったことがございましたが、そこで四国というものを考えれば考えるほど、四国は一つなのか四つなのかという疑問に、いつもぶちあたりました。
 地理的な大きさからいえば、四国はそれほど大きな島ではございません。しかし歴史的な事情ももちろんあります。しかしそれにも増して、中央構造線が、真中を東西に走っておりまして、土佐が向こう側にあります。地元の方には釈迦に説法でございますけれども、大阪湾よりに阿波があって、讃岐があって、そして伊予がある。そうすると、まさしく四つの国があるから四国なのでありますが、この四国は一つなのだろうか、四つなのだろうか。禅問答みたいな答えを出せば、一つであって四、四であって一という。もしも八つの生活文化圏の連携の学としての愛媛学というのが成立し得るならば、この展望が非常に明るいのです。
 なぜならば、その生活文化圏の連携調整、そして相互刺激が可能ならば、次にできるのは四国学という学問であるからに違いないんです。四国学がもし成立いたしますならば、これは西日本学といったようなところまでつながっていくかもしれません。
 これは農業史の先生方がよく言われることでございますけれども、基本的に農業国であった時期の日本を振り返ってみますと、東北日本型と西南日本型とに分かれるようでございます。
 東北日本型というのは、関東地方から北とお考えいただいたらよろしいのですけれども、こちらの方は大地主がおりまして、地主小作関係が非常に強烈だった地域。西南日本型というのは、これも地域によってばらつきかありますから、いちがいには申せませんけれども、地主小作制度よりも、むしろ自作農がかなり強かった地域。そして親分子分関係、親方子方関係というのは、東北日本に多くて、講集団ですが、こちらの方にも講は恐らくあると思いますけれども、かなり横並びの水平的組織としての講集団というのは、西南日本にとりわけ多い。とするならば、四国学の成立の後には、近畿から九州までを含めた、西南日本学というのがあり得るでしょうし、同時に東の方では、東北日本学。これは東北地方ではございません。関東以北ということで、箱根から向こうでございますけれども、東北日本学というのが、恐らく可能なのでしょう。
 そしてその積み重なりとしまして、知事さんの御挨拶の中にもございましたけれども、今度は国という一つの枠を超えた、次の地域調整学というのが出て来ますでしょう。言うまでもないことですけれども、日本という国のお隣には、朝鮮半島。現在は二つの国に不幸にして分割されておりますけれども、朝鮮半島にも、我々と同じ人種の友人たちがたくさんいます。
 それから、玄界灘を隔てて向こう側には、中国大陸に10億人の、同じ人種的に申しますと、同じモンゴロイド族でございますけれども、我々と似た、友人たちがたくさんいます。しかし朝鮮半島の文化と、日本文化というのは、一般化がどこまでできるか分かりませんけれども、もしも東北日本学があり、西南日本学があり、そしてその上に日本学というものが成立するとするならば、今度は東アジア学というのがあり得るはずです。そこには朝鮮半島も、中国も、場合によっては、インドシナ半島の一部、とくに申しますならば、ベトナム、ラオス、カンボジアといったような所を含んだ、東アジア学というのができあがってきます。
 これはちょうど、伊予八藩の地域の文化の調整と連携と、それから相互刺激が可能だということを前提とした愛媛学が、四国学になり、西南日本学になり、その延長として、今度は東アジア学というのがあり得るのかもしれません。最後にそれが世界学になるまでには、これは気の遠くなるほど時間かかかると思いますけれども。