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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(2)活動の広がり

 ア 『ゆげ見て歩きマップ-弓削町の地図帳』

 「『弓削民俗誌』発行後も、ゆげ女性塾のメンバーらで環境や歴史、文化面での身近なテーマに女性の視点から取り組んできました。平成13年(2001年)には、町内の古い建物や見所を、地図と写真で紹介する『ゆげ見て歩きマップ-弓削町の地図帳』を作りました。
 この時は、県内の町並み保存などで活躍している岡崎直司さん(えひめ地域づくり研究会議事務局長)を島にお招きして、町の文化遺産の見方を指導してもらいながら、みんなで作りました。『これが近代化遺産なのか。』と気付かされ、地域を見直すいい機会になりました。マップに載せたイラストは、すべて地元の女性が描きました。今は道路拡張のためなくなりましたが、この亀甲の石積みなどは、とても珍しいものだと思います。」

 イ 『弓削の海藻・磯の生物』と『ゆげの摘み菜』

 「つい最近も、イギス豆腐(乾燥したイギスという海藻と生大豆粉で作った今治市、越智郡の郷土料理)の調査をしました。瀬戸内海のイギス豆腐の調査の一環です。私はどの島にも海藻があるから、イギスもどこでもあるだろうと思っていました。
 弓削の人はけっこう作っているのです。民俗誌調査のころ、弓削町で『海のシンポジウム』を開催していましたが、地域の資源を生かしたまちづくり、特産品で郷土料理を作ろうと呼びかけたりしていました。
 イギス豆腐は、各家庭で違うということはわかっていました。作って持ち寄ってみると、味も違うし具材も違う。具もいろいろで、エビや貝柱を入れたのもありました。もちろん昔ながらのものもあります。弓削だけで6、7種類はありました。
 このイギスのことから、『弓削にどんな海藻があるじゃろか。』ということで、弓削全島で海藻を調査することにしました。そうすると島全体でおよそ200人が協力してくれて調査ができたのです。その時まとめた冊子を広島の海藻研究家がご覧になって弓削に来られたのです。そして、『ぜひ本を作りましょう。』ということになり、平成14年(2002年)に『弓削の海藻・磯の生物』を発行しました。広島の田中博先生ご夫妻や弓削高等学校の浅野先生にも協力していただいて、弓削中学校の生徒も総合学習の時間に参加して海藻の調査をしました。
 海藻調査から、『海藻押し葉』を作るようになりました。海藻を押し花のようにするのです。『海藻押し葉』を葉書やしおり、コースターなどにして土産物として販売しています。町内の小中学校の総合学習でも、女性塾メンバーが出かけて行って、海藻押し葉づくりを教えています。子どもたちは『海藻って、こんなにきれいじゃったん。こんなに種類があったん。』と驚きます。島の子どもたちがです。
 この海藻調査と同時並行で進んだのが山野草の調査です。これも町内の中学生や小学生が、毎月、総合学習の時間に調査に繰り出しました。子どもたちと山へ行き『見て食べてみる。』ということをしました。
 驚いたことがありました。子どもたちに『ヨモギ採ってきて。』と言っても、分からないのです。そこで、『あなたたちの足元で踏んどるやつよ。』『草餅食べたことある?それにヨモギが入っとるんよ。』と教えるのです。そこへおばさんたちが草餅を持ってきたら、子どもたちが『えっ、これにヨモギが入っとん。』と驚くのです。家で草餅を作ることがなくなって買ってくるばかりなので、分からなかったのです。この山野草調査も、平成15年には『ゆげの摘み菜』という1冊にまとめることができました。」

 ウ おいでんさいグループ

 「このグループは地域の女性団体16グループ200人近くが一つになって作りました。ゆげ女性塾も加わっています。
 弓削の新しい港に『せとうち交流館』という施設を造るにあたって交流メニューが必要なので、いろいろな活動をまとめてせっかくの施設を有効に活用しようと組織したのです。
 そうしていると、せとうち交流館のそばに新設されたショッピングモールで地域の品物を売れるようにしたらどうかと話があったので、店を出しました。今では共益費など、けっこうな金額をモールにお支払いしているのですが、なんとか利益が出る程度にはやっていけています。
 地域の女性が団結して集まって活動するには、よい場所でありよい機会であったと思います。」

 エ ボランティアグループ・ひまわり

 「おいでんさいグループのメンバーは、ボランティア活動にも熱心です。地域の困っている一人暮らしのお年寄りのお手伝いをしています。例えば、通院の介助、つまり付き添いで一緒に病院に行ってあげる活動などです。実は、この病院付き添いが今一番の問題です。弓削から因島(いんのしま)へ行ったり尾道(おのみち)へ行ったりするのですが、ボランティアする側が、『因島ならいいけど、尾道は遠いので。』と言って消極的なのです。尾道だと1日がかりになりますから。
 他にも『お墓の掃除をしてほしい。』というので月1回掃除をするとか、家の中で家具を動かす時の手助けをするとか、都会の親族に荷物を送るとか、ちょっとした大工仕事をするとかしています。昔は、隣近所でお互いに助け合うのが当たり前だったと思います。それが頼みにくくなっているということは、コミュニティが壊れかけているようにも思うのです。」

 オ 弓削塩文化を伝える会

 「弓削は中世、塩の荘園だったという歴史があります。大学の中世史の研究者が時々島へやって来ます。普通は役場の教育委員会が対応すると思うのですが、なぜか私たちに声がかかるのです。呼んでもらって勉強ができるのですからありがたいことです。今、『弓削塩文化を伝える会』という会を立ち上げ、愛媛大学と共同で活動を進めています。」

 カ 女性によるふるさとづくり

 「県の施策で女性塾を作ることになって、町内の方に声をかけてゆげ女性塾ができたのですが、いろいろなことをしたし、いろいろな人とも出会えたし、みんなやめることなく継続して活動しています。普通のおばさんが何も分からないままやったことに、皆さんが価値を見出してくれて、本当にありがたいです。
 地域の活性化というのは、女の人が元気にならないとできないのではないかと思います。男の人は仕事があるので、どうしても仕事中心になって、活動が難しい場面があります。
 時間はかかりますが、地域の人が喜んでくれたものを、島外へ発信していくことが基本だと思います。どこかで『あなたの町は、何があるの。』と聞かれたときに、『何もない。』と答えるのではなくて、『自分の町はこういった町だよ。』と言えることが、自分のふるさとに対する誇りだと思います。子どもたちが帰ってきたくなるようなふるさとづくりをしたいのです。」