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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(5)新生活運動の深化

 ア 新生活運動推進愛媛県婦人大会

 昭和31年(1956年)3月6日、7日に開催された県婦人大会の名称は「新生活運動推進愛媛県婦人大会」となって、婦人団体が新生活運動の担い手として中心的役割を果たすことを明確にしている(⑦)。
 6日10時半から松山(まつやま)市堀之内(ほりのうち)の県民館で開かれた開会式には、県下各郡市の婦人会代表ら約4,000名が集まり、あいさつ、祝辞の後、制定されたばかりの「えひめ婦人の歌」が愛媛県教育委員会の社会教育課職員の指揮で合唱、披露された。引き続いて5名の代表者が新生活運動について発表した。午後は講演と「新生活運動推進上の問題点は何か」について全体討議が行われた。7日は道後(どうご)公会堂で分科会が開かれた。分科会は、「家庭ではどう進めるか」「村ではどう進めるか」「町ではどう進めるか」「郡市県連合婦人会のあり方」の四つに分かれて討議がなされた(⑬)。
 第4分科会の司会者は次のような感想を寄せている。「悪天候にもかかわらず、県下各地からこれだけ多くの出席者が集ったこと。そのことだけでもこの大会が前回に比べて大きく成長したことを示している。これは本県の婦人たちの間に生活の向上への意欲が次第に盛り上がってきていることを意味するもので大変うれしかった。(中略)ともすると婦人の会合はその場かぎりの線香花火的なものになりやすいが、今度の大会はその点では面目を一新したものだった。出席者の態度をみてもなにかを求めようとする強い熱意が感じられ、発表される意見を聞いても建設的なものが多く、思ったことを臆することなく堂々と発表できるようになったことだけでも大きな進歩ではないでしょうか。」

 イ 新生活運動えひめ婦人研究大会

 昭和32年(1957年)9月30日、10月1日、松山市において新生活運動えひめ婦人研究大会が、愛媛県食生活改善運動普及推進協議会と愛媛県連合婦人会が主催して開催された(⑭)。
 9月30日(月)には、県民館(松山市堀之内)で約1,500人を集めて午前10時から開会式が行われ、11時から1時間、久松定武愛媛県知事による 講演「アメリカ婦人の日常生活」が行われた。午後は、1時から研究発表が行われ、2時から中央講師による講演「実践体験からみた新生活運動の諸問題」があった。3時30分から5時まではパネル討議で、市街地、農村、山村、漁村の代表者各1名が登壇した。そして5時から7時まで、郡市連合婦人会対抗のお国自慢大会が行われている(⑦)。お国自慢大会の出し物は踊りが多い。越智(おち)郡は「助六(すけろく)」、温泉(おんせん)郡は「鹿島(かしま)おどり」、上浮穴(かみうけな)郡は「明神(みょうじん)踊(おどり)」、伊予(いよ)郡は「松前(まさき)音頭(おんど)」、西宇和郡は「三瓶(みかめ)音頭」、東宇和郡は「宇和町小唄(こうた)」、今治市は「桜井(さくらい)盆踊(ぼんおどり)」、松山は「道後(どうご)囃子(ばやし)」などである。また民謡として八幡浜市「八幡浜漁港の歌」、合唱の南宇和郡「南郡(なんぐん)音頭(おんど)」、創作舞踊の宇和島(うわじま)市「槍振(やりふり)」などがあった。
 大会と同時に作品展が開かれている。作品展は3部門で、A衣生活展(衣服や身回り品の工夫、作り方図、衣服計画表、作品写真など、衣生活の改善実績を示すもの)、B食生活展(改善食、献立表、栄養日誌、栄養調査集計表など、改善努力を示す展示物)、Cその他(住居の改善模型、設計図、工夫した家具類の作品及び環境衛生、冠婚葬祭、娯楽、その他あらゆる「くらしの改善」を示す実物、模型、写真、図表など)となっている。出品は、作業服・作業帽・実用寝巻き・訪問着など31点、トマトケチャップ・味噌・漬物・ふりかけなどの食品実物、栄養日誌や共同献立表など101点、台所改善例・台所用品・家具・座布団など26点が各郡市から出品された。
 10月1日(火)は会場が道後公会堂に移され、約1,000人の女性が集まって8時30分から2時間、市街地、農村、山村、漁村の4分科会に分かれて話し合いが行われた。10時30分から全体討議がなされ、11時30分から閉会式が行われた。
 新生活運動えひめ婦人研究大会に集まった主婦代表は熱心な討議の結果、要望と決議をまとめた(⑦)。要望書は2通作成され、第1は食生活改善運動を進めるために栄養士と生活改良普及員の増員と配置の適正化を求めたもの、第2は栄養指導車の配置に国庫補助を要望するものとなっている。
 また、決議として、次のように宣言した。「〝全えひめの婦人のみなさん〟。豊かで明るい平和な『くらし』を築くことは、私たちみんなのねがいであります。このような『しあわせ』を求めて集った私たち2,500人の会員は、新生活運動えひめ婦人研究大会のプログラムをとおして、お互いの『ちえ』をだし合い、『体験』を語り合いました。私たちは、この研究により『街や村の片隅で、つつましく築いてきた私たちの実践』のなかにこそ、全えひめを動かし、明日の日本を導く本当の力があることを確信し、次のことがらを提唱することを取り決めました。」そして次のように、11項目にわたる多岐の内容を決議した。こうして新生活運動は盛り上がり、昭和30年代前半には全県的に生活改善が進められていくのである。

決議

決議