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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

2 空洞化する都市部-松山市番町地区-

 番町(ばんちょう)地区は、松山市街地の中心に位置している。江戸時代には武家屋敷が建ち並んでいたが、明治時代以降は愛媛県庁、松山市役所、地方裁判所などが立地し、官公庁街を形成していった。湊町(みなとまち)と大街道(おおかいどう)は、明治21年(1889年)に伊予鉄道の外側(とがわ)駅(松山市駅)が設置され、明治28年に道後(どうご)鉄道(一番町(いちばんちょう)-道後間)が開通してから商店街として発展していった。第二次大戦で焦土と化した番町地区は戦後急速に復興し、再び中心業務地区、中心商店街を形成するが、高度成長期に地価の高騰などにともなう人口のドーナツ化現象により人々は郊外へ転出し、人口は急減した。集中する事業所と空洞化する人口により、昼間は人々が集まるが夜間はいなくなり、昼夜間人口の差が著しい。人口の空洞化とモータリゼーションの進展は、番町地区の景観を大きく変え、地域社会にも大きな影響を及ぼしている。
 番町地区で長年生活している柳井町(やないまち)の**さん(大正11年生まれ)と二番町(にばんちょう)の**さん(大正15年生まれ)に話を聞いた。