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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

1 人が行き交うまち-四国中央市二名地区-

 四国中央市のうち、旧川之江市の二名地区は、余木(よき)と長須(ながす)の二つに区分される。明治18年(1885年)当時の余木村は195戸830人、長須村は190戸826人(①)で、ほぼ同じような規模の村であった。同22年(1889年)に両村は合併して二名村となり、昭和29年(1954年)川之江町に編入、同年川之江市が成立する。
 余木は県境の鳥越(とりごえ)を経て香川県観音寺(かんおんじ)市豊浜(とよはま)町箕浦(みのうら)と接する。耕地が乏しく、生業は江戸時代から海の仕事(漁業、廻漕(かいそう)業)に依存していた。長須も立地条件は似たようなものであったが、余木に比べると耕地が広く、農家もみられた。長須は廻漕業より漁業が盛んで、明治から大正期にかけては、瀬戸内海をはじめ朝鮮半島や中国まで出漁していた。昭和になり青年層の出稼ぎ(大陸、のちに阪神)が増え、後継者がいなくなったことや、機械化に対処できなかったことにより漁業は衰退していく(①)。出稼ぎから帰った者は漁業を継がず、川之江に移住する者も増えた。漁業は昭和56年(1981年)の時点で長須2戸、余木3戸の合計5戸に減少し、住民のほとんどが川之江、三島の工場に勤めるようになった(②)。昭和23年に955人であった二名の人口は、平成12年(2000年)には621人に減少している。二名地区の人の流れと生活の変化について、二名老人クラブの3人の男性(昭和6年、昭和12年、昭和14年生まれ)に話を聞いた。