データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

(1)製紙とともにトラック輸送で全国進出

 四国中央市(しこくちゅうおうし)(旧川之江(かわのえ)市)で戦後早くから大一運送を発足させ、社長として(現在は会長)先頭にたって全国展開をされた、四国中央市在住の**さん(昭和5年生まれ)に話を聞いた。

 ア 大八車から始めた運送

 「私は昭和21年(1946年)から、丸住製紙(旧川之江市の最大製紙企業)の運送に携わってこの仕事に入り、60年間ずっと丸住さんの仕事をしています。仕事を始めた当時は、丸住製紙さんは手漉(てす)き和紙の生産が中心で、その原料や燃料を運ぶのが仕事でした。私は金田(かなだ)村(現四国中央市金田町)の生まれで、先々代の社長が村の山の材木を見にきたのがきっかけで、山から工場まで材木を運ぶようになったんです。和紙を乾かすボイラーの燃料としての松材を中心に運びました。昭和22年ころから丸住さんが、松を原料にパルプも作るようになって、原料としての松も運ぶようになりました。できた製品は国鉄か船で運んでおり、トラックで運ぶことはなかったです。駅までは、私どもが運んでおりました。この当時は四六板(よんろくばん)という板にはさんで、金属のバンドでしめて出荷しておりました。
 昭和21年から1年間は大八車で、その後に牛車で2年、昭和24年からトラックを購入して運ぶようになったんですが、当時はガソリンの配給もなく木炭車でした。木炭車は馬力が出ませんが、材木は重いとは言っても、山から坂を下っていって帰りは空車ですから、それほど大変だったわけではありません。昭和27年(1952年)に手回しクランクでエンジンを始動するガソリン車を購入したと思います。昭和38年(1963年)に正式に会社を創業する前は、4、5台のトラックを持っておりました。路線間の運送免許は7台以上車がないと許可がでなかったんです。」

 イ 運送免許獲得から全国進出まで

 「昭和30年代は、製品を運ぶのはまだまだ鉄道や機帆船が中心でした。4tトラックで近辺の輸送を中心に輸送しておりました。国道でも舗装している道はめったになかったです。四国では高松駅から栗林公園、松山では松山駅から愛媛県庁前くらいじゃなかったでしょうか。15tトラックや大型トレーラーが中心の現在から考えると、今昔の感があります。
 運送会社として正式な免許を受けたのは昭和42年(1967年)で、高松陸運局から一般区域貨物自動車運送事業の免許を受けました(一般区域事業とは、事業者から発生する貨物を工場や倉庫などへ、貸切で運送するもの)。40年代には道路整備も進み、また高度経済成長に伴った物流効率化の必要から、何度も積替えを必要とする鉄道・船に対し、短時間でメーカーからユーザーへ直接運搬できるトラック輸送が、貨物輸送では圧倒的になりました。丸住製紙さんも、戦後すぐは昼夜機械を回して1日10tぐらいの生産量だったのが、現在は1日1,000t製造できるマシンが3基、150t製造のマシンも4基あります。丸住さんの生産拡大とともに、わが社も大きくなってきたわけで、創業時トラック7台だったのが、現在は自車約100台、1日の輸送量が平均して1,500tというとこでしょうか(写真1-2-15参照)。 
 昭和50年ころには、もう青森(あおもり)まで運ぶことも結構ありました。関東での紙の需要と輸送が一番多いので、丸住さんの要望もあって、昭和61年(1986年)に埼玉県浦和(うらわ)市に関東物流営業所を開設しました。その後平成14年にさいたま市岩槻区に敷地約3,000坪を購入して、関東物流営業所を移転し、倉庫に製品を置いて、ユーザーの要請にいつでも対応し配送する体制を作りました。緊急時にそのつど四国から運んでおったら大変ですから。輸送時間の短縮と効率化という点で、高速道路の整備と瀬戸大橋の開通は大きかったです。昔は混雑する国道1号を避けて、御殿場(ごてんば)から国道469号に入って箱根を越え、川之江の工場から2昼夜近くかかっておりました。現在は今日積んで明日の朝降ろし、12時間で関東まで行っております。東北までなら今日積んで明後日の朝降ろし、大阪でしたら6時間くらいで運べます。」
  
 ウ 会社の今後、トラック輸送の未来

 「関東物流営業所を設けてからは、帰りが空車で戻るのは不利益ですから、関東から関西・四国への復便の開拓に力を注ぎました。そうはいっても何でも運べばいいというものではない。例えば鉄と紙では、トラックにかかる負担もぜんぜん違います。乗務員にとっても仕事の慣れがまったく違うから、事故や失敗を起こす。紙を運ぶ車は、帰りもやはり紙関係の品物を積むのが一番いいんです。そこで北陸や富士方面の大昭和製紙(現日本製紙)や北越製紙などから、古紙や製紙関係の薬品を請け負って積んでいます。ですから輸送品目は、ほぼ100%紙製品になります。
 また、現在川之江の岸壁に、新しく保税倉庫を建設しております。保税倉庫というのは、海外からの輸入品をそのまま陸揚げして、倉庫でそのまま関税等の税関の検査を受けるようにしたものです。運送だけでなく、在庫管理や情報システムもひっくるめて、原料供給から製品輸送・卸売まで一括して取り扱う『3PL(サードパーティロジェステック)』を進めております。またISO14000(国際環境標準規格)やグリーン環境認証(エコモ財団の指導により環境保全に努めている経営の証明)の取得など環境保全にも対応し、今後の経営を進めていきたいと考えています。」

写真1-2-15 四国中央市の大一運送本社

写真1-2-15 四国中央市の大一運送本社

四国中央市上分。平成19年7月撮影