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えひめ、子どもたちの生活誌(平成18年度)

(2)地域をつなぐ連携プレー-佐田岬13里見て歩き-

 愛媛県の西部にある西宇和(にしうわ)郡伊方(いかた)町では、各地区公民館の共催で小中学生を対象に佐田岬(さだみさき)半島に見られる豊かな自然や文化を徒歩によって体感する「佐田岬13里見て歩き」というイベントを平成12年の夏から実施している。真夏の炎天下を歩く子どもたちを支える公民館や町職員の連携の様子やこのイベントへの思いについて**さん(昭和16年生まれ)に聞いた。

 ア 西宇和郡公連の統一企画として

 「平成の町村合併以前の西宇和郡には、保内(ほない)町、伊方町、瀬戸(せと)町、三崎(みさき)町、三瓶(みかめ)町の5町があり、各町の公民館で西宇和郡公民館連絡協議会(以下、西宇和郡公連)を組織していました。そして、公民館の職員同士は、西宇和郡公連主催の研修などを通してさまざまな事業実施に必要なノウハウを習得したり、また交流を深めたりしていました。そういう流れの中で、子どもたちが参加する西宇和郡公連としての統一的な企画を実施できないものかという声があがってきたことが『佐田岬13里見て歩き(以下、見て歩き)』のきっかけです。そして、各町がさまざまな構想を持ち寄って検討を重ねた結果、見て歩きの企画が具体化していき、平成12年(2000年)8月22日~24日の2泊3日の日程で出発地を三瓶町文化会館、終着地を三崎町庁舎とした第1回目が実施されたのです。
 この企画を通して子どもたちが他の町の子どもたちと知り合うことができ、街中で偶然再会して話がはずんだりしているようです。伊方町内の小学校はへき地校が多く(*12)、お互いの学校の位置関係も山を挟んで宇和海側と瀬戸内海側にあるといった状況なので、子どもたちが自分の力でよその校区の子どもたちと交流することはとても難しいのです。ですからこの行事に参加していろいろな学校の友だちが増えたことを子どもたちがとても喜んでいるという保護者からの声にも押されて、もともと平成12年の1回限りと考えられていた企画でしたが好評のため毎年実施することになったのです。
 今年は平成12年から数えて7回目になりますが、実際は6回目の実施です。というのは、ちょうど私が伊方町中央公民館の館長に就いた平成13年の第2回の見て歩きは、実施当日に台風の接近があり残念ながら中止したのです。その年は、西宇和郡内の5町から65名もの申し込みがあり、すべての準備ができていただけにとても残念でした。」

 イ 当日を見据えた準備

 「この企画の具体的な準備は5月から始まります。5月下旬になると各町の担当者が一堂に会して第1回目の打ち合わせ会を行い、募集要項の審議や各町ごとの役割分担を協議します。6月に入ると小中学校に募集要項を配布するとともに、近隣の高等学校にはボランティアスタッフへの参加協力をお願いしています。7月~8月になると、募集を締め切り、参加者やボランティア、さらにはスタッフの人数を確定させ、名簿を作り上げます。この段階になると各町の役割分担や準備物がさらに明確になります。そして高校生のボランティアスタッフへの説明会を行うとともに、準備状況確認や情報交換のための担当者打ち合わせ会を持っています。
 参加者の募集対象は小学校4年生から中学校3年生までですが、小学生の参加割合が多くなっています。4年生以上としているのは、やはり体力的なことがあるからです。炎天下を歩いていくわけですから何よりも体力勝負です(口絵参照)。今年の参加者を見ると、4年生のときから毎年参加して、中学生になっている子もいますし、兄弟で参加している子もいます(写真2-2-12参照)。参加者を10人前後で一つの班に編成しますが、班にはそれぞれ違った地域の子どもを入れ、そして小中学生の人数と性別のバランスを取るようにしています。当日には出発に先立って班会議を持ち、各班で話し合って班長を選出させ、班の目標や決まりを話し合わせています。しかし、何せ班長に選ばれた者も班のメンバーも初顔合わせですからスムーズな話し合いができているとはいえません。それでも、少し時間はかかりますが年長の子どもたちが気を配って話し合いをまとめています。こうやって始まるわけですが、二日間を見ているとお互い知らない者同士が少しずつ打ち解けあっていくのがわかります(写真2-2-13参照)。
 これまで参加者が最も多かったのは、町村合併前の平成16年(2004年)の72名です。各町の内訳は保内22名、伊方30名、瀬戸4名、三崎16名でした。瀬戸が少ないのは、町の公民館が主催するキャンプと重なっていたからです。これに川之石高校VYS部のボランティア10名、そして地元の教職員や公民館と町の職員の合わせて30名が加わり、総勢102名というものでした。現在のような3町(伊方、瀬戸、三崎)での実施になってからのここ2年は、募集をかける地域も狭まりましたので、参加人数は30名前後になっていますが、高校生や地元のボランティアの方、公民館や町の職員らのスタッフが25人前後加わり、合わせて60名前後がかかわるイベントになっています。
 スタッフは、みなさんボランティアの気持ちでやってくれています。当日の行程には、徒歩ばかりでなくバスに乗り込んで移動する場面もありますので、その移動バスの運行や機材の搬送をはじめ、給水ポイントの設置などといったものは町の生涯学習課や社会教育課、そして公民館の職員が手分けして分担しています。給水ポイントは事前に大まかな設定をしていますが、当日は町のワゴン車に麦茶の入ったアイスクーラーを2、3台積み込み、子どもたちの後方からゆっくりとついていって、天候や気温の上がり具合、そして子どもたちの様子などを見ながら臨機応変に設置しています。給水ポイントでは水分補給とともに、場所によっては飴(あめ)玉を出すことにしています。小さな飴玉ですが子どもたちは喜びますし、甘いものをとることでほんの少しだけ疲れを忘れるようです。
 さらにスタッフには子どもの対応に慣れている地元の小学校の先生や養護の先生、そして町の保健師さんにも参加をいただいて、子どもたちの健康管理に万全を期すようにしています。宿泊先での夕食は子どもたちが飯盒炊飯(はんごうすいはん)などで自炊するのですが、2日間の昼食は、亀ヶ岡(かめがおか)生活改善グループの方々や三崎高校の家庭クラブの生徒さんに御協力いただいて準備しています。
 高校生のボランティアは毎年募集しており、これまで三瓶、川之石(かわのいし)、八幡浜(やわたはま)、八幡浜工業、三崎といった県立高等学校のみなさんに御協力をいただきました。高校生には小中学生で編成した班の前後について一緒に歩いてもらったり、年度によっては宿泊先で行う交流会やキャンプファイアーなどの手伝いをしてもらったりしています。このように、地域の多くの皆さんの御協力をいただいています。
 町村合併以前の見て歩きのコースは、三瓶町(又は保内町)と三崎町の間で設定し、毎年出発地点とゴール地点を交互に入れ替えながら実施してきました。合併後の新伊方町になってからは、旧伊方町と旧三崎町の間で実施しています。コースや見学ポイント、宿泊地などといった内容を毎年少しずつ変化させ、それぞれの町の特徴的な場所を盛り込むように工夫していることもあってか、途中でいやになって投げ出してしまう子どもはおりません。1日目を終えて2日目になって、さすがに体力面で危(あや)ういなあと感じる子が出ることはありますが、スタッフや子ども同士がお互いを励ましあって、毎年全員が完歩しています。閉会式に先立って完歩の記念写真をとるのですが、やったあという達成感や充実感が子どもたちの表情にみえます。そして閉会式のときには完歩賞を用意して、一人一人に渡しています。」
 今年(平成18年)の8月21日(月)~22日(火)に実施された『見て歩き』は、1日目は伊方町九町(くちょう)の町見(まちみ)公民館を出発地として、約2km離れた町見郷土館を訪れて展示物を見学し、その後亀ヶ池(かめがいけ)(県内最大の潟湖(せきこ)。潟湖とは砂洲などにより、外海から分離してできた湖のこと)までの約2kmを歩き、郷土館の高嶋賢二学芸員から亀ヶ池にまつわる「大蟹(おおがに)伝説」や周辺の魅力についての講義を受けた後に昼食をとった。昼食後はバスに乗り込み、旧瀬戸町の三机(みつくえ)湾にある須賀(すが)公園に移動し、公園の植生や三机湾が真珠湾攻撃の秘密訓練場であったことなどを地元の観光ボランティアから説明を受けた。そして須賀公園から川之浜(かわのはま)まで約8kmを歩き、川之浜にあるちりめん加工場を見学し、再びバスに乗って宿泊先の瀬戸アグリトピアへ移動した。
 2日目は、瀬戸アグリトピアからバスで旧三崎町の三崎港に移動し、そこから約10kmの山道を歩いて元佐田岬小学校で昼食をとった後、佐田岬漁港に到着した。港からは2隻の遊覧船に分乗して佐田岬灯台を巡る宇和海クルージングを楽しみ、井野浦(いのうら)港で下船した。そして、約4kmを歩き通して最終目的地である三崎公民館にゴールするという内容であった。

 ウ 子どもたちをみつめて

 「今の子どもたちは外に出ていろいろな野外体験をする経験が少ないと思います。夏なら虫とりや海水浴に行くというようなものです。かつて私が豊之浦(とよのうら)小学校に勤務していた平成7~8年度のことですが、山間部の学校と海辺の学校との交流事業があり、そのときに喜多郡内子(きたぐんうちこ)町の石畳(いしだたみ)小学校との交流がありました。内容は、こちらが行くときは山でクリ拾いをして、先方が来られるときは浜辺で魚釣りをするというものです。事前に釣り竿を用意して、豊之浦の子どもに、石畳の子たちに釣りの仕方を教えてあげないといけないよと指導したときのことです。豊之浦という海のすぐそばの地域の子どもなのに、釣りの経験がない子が多くて驚きました。逆に石畳の子どもの方が道具もちゃんと用意していて、詳しいくらいでしたので、これではいけないと思いました。豊之浦小学校には当時は学校にプールがありませんでしたし、海では泳いではいけないということで泳げない子どもも多くいたのです。でも、子どもたちは『大きくなったら漁師になります。』というわけです。釣りも泳ぎもできない子どもたちがです。
 また、子どもたちの人間関係をみると、学校の中と地域の中の二つがあるように思いますが、今の子どもたちには地域の中での人間関係がなくなっているように思うのです。少子化のこともあり、近所には子どもがあまりいなくて、ほとんど学校の中だけの人間関係しかないことは問題だと思います。学校の中で勉強が苦手な子どもであっても、虫とりや釣りが上手であればその良さを地域の中で発揮することもできますが、地域の中での子ども同士の人間関係がないから、その子の持っているいろいろな良さが生かされる場がなくなっているというわけです。
 私は小中学生時代には、『自分は、これくらいはできる』という能力の限界を知ることが大切だと考えています。水泳ならば、あそこまで泳げるということを知っていることが大事だということです。そういう見当を身につける体験が今の子どもたちには不足していると思います。歩くというなら、どれくらい歩けるのかということを知っておくということは、自分が生きていくために自分の力を知っておくことであり、自分が生きていく上での目安になると思うからです。こういったメッセージを込めながら、私の気持ちとしては、少し大げさかもしれませんが見て歩きの行事を自分の限界を知るいい機会にして欲しいと考えています。」

 エ 旧3町のさらなる交流をめざして

 「当初から『西宇和郡は一つ』を合言葉にして、見て歩きは企画されてきました。そこには西宇和郡内の5町の公民館が連携して子どもたちにふるさとの自然や文化に触れてもらいながら、自分の足でどれくらいがんばれるかを体験してもらうことや、この企画を通して出会った仲間同士でお互いを思いやる心や連帯感を培ってくれればという思いが込められてきたのです。
 ところが、市町村合併の進展に伴い平成16年(2004年)4月には三瓶町が西予(せいよ)市に、そして平成17年3月には保内町が八幡浜(やわたはま)市となり、西宇和郡は5町から3町になりました。合併で西宇和郡の規模が小さくなったとはいえ、以前と変わらぬ気持ちで旧町の各公民館が協力する体制はしっかりと受け継がれているのです。それに平成17年4月の新伊方町発足以来、町からは旧3町の交流を促進してほしいとよくいわれていますので、見て歩きは交流促進を進めてきた先駆け的なイベントだと思うのです。
 これからも、このイベントをはじめとして距離的に非常に分散している旧3町の子どもたちの交流がどんどん進んでいけばすばらしいことだと考えています。そして、将来的には小中学生として参加した子どもたちが高校生になったときに、高校生ボランティアとして参加してくれるようになってくれればと思います。こういうことの積み重ねによって、新しくなった伊方町でも子どもたちのつながりがもっともっと深まっていけばいいと考えています。」


*12:町内の公立小学校11校のうち7校がへき地校に、2校がへき地校に準ずる学校に指定されている。

写真2-2-12 いよいよ出発

写真2-2-12 いよいよ出発

伊方町九町。平成18年8月撮影

写真2-2-13 打ち解けあって

写真2-2-13 打ち解けあって

きつい坂道を中学生にひっぱってもらう小学生。伊方町川之浜。平成18年8月撮影