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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(3)壁

 **さんは壁塗りについて、次のように話した。
 「この辺り(旧東予市)は黒土をよく使いました。田の土ですが、赤土よりずっと力がありました。粘りもあり、固まってからは風化しにくいので、壁には最適でした。田を掘り起こさないといけないので、次第に赤土になり、今では業者さんが練った赤土を運んでくるようになりました。昔は近所の人や親類の人がオコウロク(お合力(こうろく)、奉仕的な労働)で、晩に一杯飲むのを楽しみに、わいわい言いながら地べたで練っていたのです。黒土ですし、わらのアクも出てきますから、壁の色は黒っぽくなっていました。最後の仕上げのときには、あまり粘くならないように砂も混ぜて塗りました。混ぜ具合は勘で入れるのです。打ち返して練ったほど粘りが出て、スサ(ひび割れを防ぐため壁土に混ぜるわら、アサなどを細かく切ったもの)などもよくなじみ使い良いものになります。中塗りになると、船(泥練り用の箱)で練ります。
 泥突き出しというものを作って、それに練った土を入れて左官の手元へ突き出すのです。タケの先に杓子(しゃくし)状のものを付けたり、タケの先を割って泥をはさんだりしていました。女の人が出すときは、力がないものですから、鏝板の上にぱたーんと手加減せずに置かれて、困ったこともありました。 
 スサはちょっと腐りかけくらいのほうが、なじんで使いやすいのです。中塗りに使うスサは私は自分で精製していました。縄を雨に当てて腐らせて、木の台の上で槌(つち)でたたいてさらに手で揉(も)んで、箕(み)でさび(農作物などをあおりふるって、からやごみをより分ける。)て飛んだものを使っていました。わらの節などは後に残りますから使わないのです。雨降りの日などは、それが仕事になっていました。
 スサ屋は今治(いまばり)にありました。今治は漁師が多かったので、漁船で使わなくなった綱を腐らせて、細かく柔らかくして製品にしていました。精製の度合いの良いものは、土と良くあって、良い壁が塗れました。竹小舞(壁の下地)としては、この辺りではメダケよりマダケを割って使っていました。縄はわら縄で、シュロ縄は土蔵を塗るときに使いました。
 土蔵は柱、梁、桁などの小屋組が済めば、あとは仕上げまでほとんど左官の仕事です。初めは手で土を揉んで、土の団子を打ち込んで行くのです。小舞のタケも大きく、目も荒く、スサも長く20cmくらいあります。また外壁は四角な平瓦を並べて打ち付け、その間を漆喰でかまぼこ形に盛り上げて塗り、耐火性を強くします。これを海鼠(なまこ)壁といいます。
 昔は横から塗って、裏を返して大直し(貫伏せ)をしていましたが、今は縦に塗って貫伏せの代わりに裏返しを分厚く塗るようになりました。
 壁と柱の隙間が出来ないようにするために、のれんやちりとんぼなどというものをしておりましたが、今はちりじゃくりといって、大工が柱に5mmほどの切り込みを入れますので、そこへ泥が入って行きますから、隙間は生じなくなりました。
 中塗りは頭張りといって凸凹が生じないように気を付けます。良い壁になると、三尺定規で擦って高いところを削ることもあります。
 上塗りは柔らかい弾力のある鏝(こて)で、塗って行きます。外側は滑らかに塗り上げます。内側については、周桑方面(現西条市)独特のサビ通しとかネズミのサビという塗り方をすることがあります。その上塗りの材料も自分で作ります。フノリを炊(た)いてケンド(フルイ)の細かいのに掛け、どろどろのノリにします。次に紙ズサを作ります。傘(かさ)紙のくずを水に漬けて、たたいて砕くのです。ノリに紙ズサそしてネズミ灰を入れて石灰で練ります。そして塗る前に非常に細かい砂を入れて塗るのです。
 柔らかい鏝を人差し指と中指ではさんで、上から下へ軽く通して行くのです。これをしますと人差し指と中指が、夕方には痛くなって来るのです。時がたっても横から見ると、その仕事をした左官の鏝の使い方が目に見えるのです。いつまでも職人の腕の冴(さ)えを読みとることが出来るのです。
 また、妻壁の所は、破風板の拝み部分(屋根の切妻に付いている合掌形の板の上部)に懸魚(げぎょ )という装飾を付けたり(⑥)、桟組をしたり、鏝絵(こてえ)を付けたりします。私も自分の家の妻壁には、東西とも鶴を付けております。私の家は昭和28年築ですが、合掌造りなのです。したがって梁木口(はりこぐち)はありませんので、下で台座に漆喰(しっくい)細工をして、それを持ち上げ妻壁に釘(くぎ)で止め付けてあるのです(写真1-12参照)。」
 **さんは、壁塗りについて次のように話した。
 「壁は片壁を塗って裏戻しをするまでに、1週間から10日かけていました。気候にもよりますが、妻の実家のときは、梅雨になってしまい、裏戻ししてから、湿気が入って一つも乾きませんでした。そうする内に壁の中から稲の芽が出てきたことがありました。スサの中に籾(もみ)が入っていて、それが芽を出して20cmも伸びました。
 季節により、工事・工程がずれるから、近ごろはこういう壁は使わないということになるのです。昔は大まかにこのくらいの間でというような話で、期間が少々ずれてもやかましく言いませんでした。今は施主も日数計算で予算を立てるし、棟梁(とうりょう)も左官の分はいついつ仕上がりになると予定すれば、計算が出しやすいのです。自然相手ということを考えると、もう少し大まかな方が、家のためには良いのです。昔の施主さんは家のことを考えて、気長い部分がありましたが、今は安くて早いのが一番です。私が弟子修行をしていたころは、親方を入れて5人で、年間に18坪(約59.4m²)未満の家を3軒建てたら、お正月が来たものです。それだけ職人の手間が入っていたのです。あのころに比べると、今は手間はあまり入っていないのです。」

写真1-12 破風板の上部付近の鏝絵

写真1-12 破風板の上部付近の鏝絵

西条市丹原町。平成17年10月撮影