データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(2)屋根①

 ア 瓦の焼成

 達磨窯(だるまがま)は、中央の瓦の焼成室が人の背の高さほど盛り上がっており、その左右に燃焼室が低く取り付けられ、その側面の形が達磨が座禅を組んでいる姿に見える。そのため、このような名称になったといわれている。
 大正時代には全国で8,000か所を数えていたが、現在生産活動を続けているのは群馬(ぐんま)県と愛媛県の2か所だけになっている。長らく達磨窯で瓦の焼成を続けてきた**さん(今治市菊間町 大正7年生まれ)は、営業や焼成について次のように話した。
 「私の工場の達磨窯は昭和64年(1989年)に築(つ)いたもので、平成5年(1993年)に一部修築をしました。全長が5.34m幅が2.40m高さが地上高で1.60mです(④)。焚(た)き口が地面下に降りているので、他県の達磨窯より小さく見えるといわれます。また焚き口が地面下にある達磨窯は、非常に珍しいものだと聞いております。窯の外壁に、粘土をブロック状に焼いた窯用の炉材を積み上げています。窯の内部は廃瓦と粘土で構築し、その間に砂を入れております。
 この辺りも昭和40年代の後半くらいから、土練から焼成まで機械化され、大量生産を始めました。焼成もガス釜に切り替えるところが大半になったのです。大量生産の場合は、設備投資をして、工員を雇いさらに外交員を別に使って営業します。広島や九州と取引して他県の業者との厳しい競争に勝たねばなりません。
 当時営業をどうするか、いろいろ考えました。小規模経営の要点は、自分が作った物を、確実に自分が販売することです。そのためには製品の品質を上げて信用を得、固定客をつくることだと思いました。また焼成の技術を磨いて、不良品を出さないようにすれば、ものすごく効率が良くなります。そういうことで少量生産ではありますが、この達磨窯で瓦を焼き続けて今日まできました。
 昔は何十種類も土を配合して、水につけて、足で踏んでいましたから、土練機にかけるころにはきれいに密着してうまく混じるのです。そのため瓦の強度が強くなるのです。半製品を1週間も10日間も重ねて置いて自然乾燥させていたのです。湿度をうまく全体に行き渡らせているので、不良品は出てきません。
 現在は作ったら、ぱっと切断機にかけて、すぐ半製品にしてしまうのです。あまり水分を与えていないのです。真空の機械ですぐに出せるような固さにしてあるのです。作業の手間がかからないようにしてあるのです。
 明日達磨窯で焚(た)くということになると、窯を開けて瓦の素地(しらじ)(粘土板を瓦の形に成形して乾燥したもの)を積み込みます。前回焼いたときに出来た炭を入れて、夕方には火を付け、じわりっと素地をぬくめます。夜中にはマツの端材などを燃やして次第に温度を上げて行きます。翌朝の4時か4時半ころ重油に点火します。それまでに素地の瓦はぬくめられ、蒸されているので、はじけず割れることもないのです。熱を十分に持たしているので、火力の強い重油で焚いても割れないのです。
 重油で1,000℃に上げておいて、その1,000℃を落とさないように、しばらく引っ張るのが大事です。その引っ張る間に温度が急に下がったら不良品が出ます。強い火力でゆがむほど焼いたのが良いかというと、実はそうでもないのです。温度を高くすると強度も光沢も良さそうですが、なかなかうまく焼けません。火が強すぎると土が持たないのです。
 また温度だけでは駄目なのです。窯に1,000枚入れても、一つとして同じ瓦ではないから難しいのです。同じ容積でないから、焼くのが難しいのです。私の若いころには、棟積みなどに使われる小さい熨斗(のし)瓦というものがあって、達磨窯では熨斗(のし)瓦が焼けたら一人前だといわれていました。
 翌朝焼き上がりを見極めるのです。これが一番難しいのです。言葉では表せない微妙な世界です。やや黒っぽい赤から真っ赤になり、さらに薄い黄色味を帯びた赤に変化してゆきます。窓からのぞいて色を見て、こちらの色そして反対側の色を見るのです(口絵参照)。ところが時間によって、天候によって、また太陽が射し込んでいる場合とそうでない場合とで色が違うのです。光によって焼け色が甘く見えるのです。見逃さないようにこちらの色はここから見て、あちらの色はあそこから見て、というように勘を養うのが大事なのです。目を細くしたり、顔を両手でおおって指の間から見つめたりして、火を落とす一瞬を決めます。10年焼いてどうにか色が見えるようになります。ただ20年焼いても身に付かない人もおります。こうして翌朝9時過ぎには、バーナーの火を止めます。
 次にいぶしに入ります。マツの端材と松葉を入れると真っ黒い煙と真っ赤な炎が達磨窯の窓から吹き出します(写真1-8参照)。炎と煙の様子を見ながら焚(た)き続けて、順次窓にふたをして、窓を小さくして行きます。炎と煙が良く回り、ころあいだなと思うと、窯の焚き口にふたをし粘土で塗り込めます。最後に窓も塗り込めて蒸し焼きをし、日本瓦の銀色を出すのです。
 焼き上げが良くないと、時間がたつうちに変色してきます。仮にある地域に売り込みに入って、土地の大工さんが請け負っていて、『予算がない。』と言われたとします。それでも瓦の質を落とすようなことをしてはいけません。何年か後に、見る目のある人が屋根を見れば分かることなのです。信用第一なのです。うちの瓦は、上の物も下の物も甲乙つかないように、温度をうまく回して焼いてあるのです。一番上の瓦でも変色しないのです。それだけに最後の焚き上げには、精魂を込めているのです。
 達磨窯もいろいろ焼く人によって、築(つ)き方が違います。自分が焼いた経験によって、こう造る、ああ造ると意見が違うのです。瓦を積み上げ粘土で塗り込めて行くのですが、窯の幅に対して高さが高すぎると良くないのです。煙出しは煙突を真ん中に立てて上に抜くものも、よその県にあるそうですが、それなりの工夫があるのだと思います。私はゆっくり横に抜く方が熱の加減が良いと思っています。瓦を3段くらい積んで焼くのですが、焚き口の横の窓際から中央部の3列まで火の回りを常に考えて、良い焼き上がりを願うのです。
 バーナーも『こういうように、組んでくれ。』と鉄工所の職人に注文をつけて作ってもらいました。火熱や火の回り加減などどうすれば良い焼成ができるかと、いつも考えます。蒸し焼きで焼こうとする場合、細い火できゅうっと焼くと、火力が強くなって駄目なのです。大きい火でじわりっと燃やす方が瓦にもこたえず、満遍なく焼けるのです。
 窯を密閉してから冷却までの時間は、季節などいろいろな条件によって違いますが、7~10時間くらいかかります。窯出し(写真1-9参照)を急いで無理な冷却などはせず、ゆっくり取り組むのが良いと思うのです。」

写真1-8 松薪、松葉での瓦のいぶし

写真1-8 松薪、松葉での瓦のいぶし

今治市菊間町。平成17年7月

写真1-9 瓦の窯出し

写真1-9 瓦の窯出し

今治市菊間町。平成17年7月