データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(1)上棟(建前)

 **さんは上棟祭までのことがらを次のように話した。

 ア 軸組

 「土台に柱を立て、梁(はり)と桁(たけ)とを結んで骨組みを造ることを、軸組と言います。これは普通、1日で組み上げなくてはいけません。軒の大桁までは、2間の長さに柱が何本あるかを数えて、全部差し込んで鎹(かすがい)で止めておいて、『やあーっ。』と起こすのです。そして今の家は土台敷きですから、起こした柱を土台の穴へぶすっと差し込むのです。そうしてちょっと仮の三角を打ち付けておけば、とりあえず止まるのです。そのようにして、順送りに各面を立ち上げて行くのです。めん木おん木がありますから、めん木の方を先に立てておいて、おん木の方を上に載せて行くのです。人手は一面に4~5人必要です。一面ずつ固定すると、鳶か大工が上に上がって、横の面と垂木で三角に仮止めをして、次に接ぎ手仕組みをするのです。このようにして縦横の垂直を確かめながら、軸組をして行きます。

 イ 小屋組 

 次に屋根の骨組みである小屋組をします。屋根の形は棟の高さや屋根の勾配、切妻、寄棟、入母屋などによって決まります。和小屋では1本1本形が違う自然の材木を使うので、それぞれポイントとなる所の高さをそろえなければなりません。そのため小屋組には大工の腕前が高度に発揮されます。梁も何種類もあり、長さも違い、それに応じて、さまざまな束(つか)を立てなければなりません。材を組み上げて行って、最後に棟木を上げると、工程の大きい区切りを迎えたことになるのです。

 ウ 上棟祭 

 棟木の上がった日の夕方から、上棟祭を行います。まず3尺3寸(約91cm)の障子紙とメダケを用意します。始めに建物の四方に一升瓶(びん)から御神酒(おみき)を1杯ずつ注ぎ、そこに四方固めの御幣(ごへい)を切って立てます。次に親方が施主の厄がすなおに抜けることを願って、25歳、33歳、42歳の厄年の人のための御幣を切り祭壇に供えます。命永(いのちなが)の御幣といい、柱の切れっ端に3本打ち付けます。その真ん中の1本は一段高く止めます。東予から中予にかけては、弓を引く所もあります。ずっと昔は弓を引いた飾り付けをしたら、大工への御祝儀が米1俵出ました。『弓を張ってもよいが、施主が御祝儀を出さないといけないから、命永の御幣にしておこう。』などと親方が言っていたのを思い出します。
 次に御神酒、餅(もち)、尾頭付きの魚2匹、大根2本、ゴボウなど土に縁のある根の付いた物を供えます。これは根を張るという、施主一家の繁栄を願う印なのです。また弊台の前に図板、手斧(ちょうな)、差曲(さしがね)、墨壺(すみつぼ)、ノミなどを置きます。
 式では、祝詞を上げて拝みます。そして御神酒を1杯ずつ手伝いの人たちに飲ませます。次に棟梁がフマ(白米)を握って、撒(ま)き初めをします。撒く白米は全部で八合で、『フマ八合』と呼ばれていました。その後『餅撒きをいたしますぞ。』とあいさつをして、大工や親戚の人などが撒いて行きます。大きい四方固めの餅4個には、お金を入れておきます。隅餅とかかど餅といって、縁起もので、拾った人は倉が建つとか、子どもが生まれるなどといわれています。四方固めの後、小餅を撒いて行きますが、拾う人も大勢でにぎやかなことです。
 その後組み上がった建物の下で、施主と棟梁を囲んで直会(なおらい)(神事の後、神前にささげた神酒などをおろして行う宴会)となります。宴が終わると、棟梁への祝儀が渡されます。昭和20年ころは、米3俵というのが標準でした。1斗1,500円とすると4斗が1俵ですから18,000円になります。時代が下がると坪単価に割ったお金になりました。家によっては、別に弟子に包むところもありましたが、大体はまとめて棟梁に渡されました。棟梁はその内六分がたを弟子に渡していました。」