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えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

(2)多様化する装いと世相

 最後に、高度経済成長期以降の多様化する装いを世相とのかかわりから概観する。
 服装評論家の林邦雄氏は、「服装はその時代と社会を端的に表わすものである。」と言い、「日本の洋装が一般化するきっかけは、大正12年(1923年)の関東大震災である。それ以前、大部分の女学生の服装は“袴と靴”であった。」と記す。
 さらに「昭和15年(1940年)には、男はカーキ色の国防色が義務化され、女はモンペ着用が奨励され、上からの声によって、否応なしに服装選択の自由を失っていった。(⑯)」と戦時下のファッションについて述べている。
 戦後の混乱期を乗り越え、高度経済成長期を迎えた昭和30年代は既製服が出回り、同39年にはパンツ・スーツが発表されパンタロンが流行し、多様な価値観の表現がなされた時代である。昭和46年にはパンツ・ファッションが開花し、機能性とドライな感覚のジーンズや同54年には世相を反映して省エネスーツが登場し、1970年代は束縛を持つTPO(装いをT=時間、P=場所、O=場合によって着分けるというときに用いられる言葉)意識から、気軽に着られ、くだけたデザインのカジュアル化路線へと進んだ時代である。1980年代はスポーツ・ウェアやタウン・ジャケットがブームとなる一方、東京がファッション発信基地として注目された。
 また、この1980~90年代は「感性の時代」といわれ、人間性を尊重する「文化の時代」ともいえよう。服装の流行にも“歴史は繰り返す”という原則が当てはまるのか、三つボタンのスーツや襟幅、スカート丈やスラックス(パンツ)の裾幅など、周期は数年から50年くらいに及ぶ流行の反復が絶えず見られるようである。
 山陽学園短大キャリアデザイン科の隈元美貴子氏は、論文「衣をふり返る-日本の戦後ファッション小史-」の中で、まず、高級化を挙げ、「1973年(昭和48年)のオイルショックを契機にして『消費は美徳』の神話が崩れ、『量から質』への変革が起こりつつある。ファッションは実用衣料の後退を起こしたりせず、逆に高級化への転換をもたらした。本格派の上等な物、また長く着られる良い物を大切に着るという服装哲学が生まれた。(⑰)」と述べている。 
 一方、北海道浅井学園大学助教授の高岡朋子氏は、論文「服装とジェンダーとの関係」の中で、「社会が変化すると服装も変わる。服装が変わると社会も変わる。フェミニズム(男女同権を実現するために、女性の社会的・政治的・経済的地位の向上を主張する論)運動が始まったころにパンツ・ジーンズが流行し、社会的な性からの解放を求めたジェンダー(歴史的・文化的・社会的に形成される男女の差異。性別役割)の社会運動と呼応するように、パンツ・ジーンズの合理性と機能性が受容され定着してきた。」と言う。
 さらに、最近の服装傾向として「男性の女性化、女性の男性化、あるいは服装のボーダレス化などが挙げられるが、日常着としてスカートの着用が少なく、ジーパンやパンツを着用し、スポーティーでラフなスタイルを好む。(⑱)」と述べている。
 昨今の多様化する装いを概観するとき、その根底にはIT社会の拡大による情報量の増大や価値観の多様化がある。特に男女を問わず若者たちの間では、“ハレ着”“正装”というフォーマルの概念は消滅しつつあり、自由で個性をより表現するためカジュアル化した装いへと変貌をとげる。さらに、スーツやスカートが減退し、男女を問わず現在も、ジーンズやパンツが長期にわたり根強い人気を博している。
 また、ジェンダーフリー社会の進展する中、価値観の多様化と相まって、「装いの文化」はいっそう多様化する傾向に拍車がかかっていくのではないだろうか。
 記憶のかなたにある基層文化をたどる「えひめ地域学」の試みは、県民一人ひとりの永遠の今を紡ぎ織りなす地域づくりへの原動力となるであろう。