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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(3)魅力あふれる栗の里

 中山町は、伊予郡の最南端に位置し、町の中央部に秦皇山(しんこうざん)(874m)がそびえ、周囲を標高600~800mの山並みに囲まれた中山間(ちゅうさんかん)地域である。クリ、シイタケ、葉タバコ、野菜などが多く栽培されている。中山下長沢(ながさわ)地区は中山川の上流域、国道56号沿いの双海(ふたみ)町上灘(かみなだ)高見地区との境にある果樹栽培地域である(⑥)。

 ア 戦後の農業とくらし

 中山町においては、山腹斜面の畑をどのように生かすかが農業経営のポイントであった。昭和の初めより自給作物として夏作のトウキビと冬作の麦が重要であった。中山町では、戦時中に一時停滞していたクリの栽培が、終戦後、農家の情熱と営農指導員の技術指導により再び盛んになり全国的なクリ生産地として発展していく素地が築かれていったのである。
 戦後、急速に全国的に有名になったクリ栽培とその背景について、クリ栽培農家である**さん(中山町下長沢 昭和5年生まれ)に聞いた。
 「中山町は台風の影響が少ない中山間地域であり、気温や日当たり、土壌(どじょう)などの面でもともとクリの適地条件がそろっていたので、くり栽培の奨励政策やそれに応じた地道な努力により、昭和の間に急速に生産が拡大しました。」
 さらに、戦後から昭和30年(1955年)ころのこの地域の食生活について、**さんに聞いた。
 「家族はどこも大家族で、生活していくためにはたくさんの農作物を作り、毎年神仏に豊作を祈願したものでした。当時は、日常の主食である麦や米、トウキビなどの穀類や果樹のクリ栽培が中心で、副食としての野菜類は、30年代にかけて少しずつ栽培面積を増やしていきました。
 保存食としての餅は、寒の餅として旧正月の2月には約2俵(ひょう)(約144ℓ、約120kg)程度つき、その後も水餅にして5月ころまでよく食べました。そのため、小学校時代にはよく弁当に餅を入れて行ったものでした。餅に砂糖を混ぜたきなこをつけると、あまり固くならずに食べることができました。白餅は贅沢(ぜいたく)品でした。白餅以外では、とうきび餅、たかきび餅、あわ餅、こきび餅、よもぎ餅なども作りましたが、餅に入れるあんこにはソラマメをよく使い、黒砂糖で甘味を加えたり、塩あんにしたりして工夫しました。」
 また、奥さんの**さん(昭和9年生まれ)にも聞いた。
 「菓子の代わりとしてのおやつであったかき餅は、旧正月に寒の餅とともに搗(つ)、むろ(もろ蓋(ぶた))で一定の大きさに固めて約1週間後、包丁(ほうちょう)やかき餅切りでうすく長方形に切って筵(むしろ)で10日間程度固くなるまで乾燥して作り、ブリキ缶(かん)に保管していました。食べたい時には、いろりの五徳(ごとく)(火鉢や炉の中に釜、鉄瓶などをかける道具)に網をのせたり、七輪(しちりん)の炭火で焼いて食べました。また、細かく切ってあられにもしました。かき餅、あられとも、赤、黄、青の色餅を多く作りました。また、よく蒸しまんじゅうも作りました。
 山間部でしたが、魚には不自由しませんでした。川魚以外に海魚も灘(なだ)(双海町の上灘)から入ってきました。ここまで8~10kmの道を天秤棒(てんびんぼう)で魚をかついで、常に5~6人の行商(ぎょうしょう)がやって来ていました。魚と麦・米の物々交換もしていました。」
 **さんはまた、子どものころの思い出として、「学校から帰ると腹がすいていましたが、ウシの飼料にする草刈りや、山からの炭運びなどよく働かされました。炭焼きに適したクヌギ・ナラ・カシが多かったので、それを使って炭はたくさん作っていました。炭は、炊事や暖房などの必需品だったのです。また、家族で山仕事に行くときは昼ごはんが入ったおひつを持って行き、山でおいしく食べました。おひつを転がして怒られた思い出があります。当時は1日に(朝・昼・お茶・晩)4回の食事が普通でした。」と語る。

 イ 栗栽培と生活

 **さんに、クリ栽培の様子やその苦労話を聞いた。
 「品種としては筑波(つくば)クリ、銀寄(ぎんよせ)クリ、日向(ひむか)クリが多く、特に筑波クリは光沢、粒、味など評判がよく、収穫の楽しみがありました。また、植えて3年目から収穫ができるようになり、約20年程度でその収穫も最盛期を迎えます。食材としての利用や現金収入源としての魅力があって、中山町での栽培面積が広がり、やがて県下有数の生産地となりました。苦労したことは肥料をこまめにやることで、基肥(もとごえ)(2~3月)と追肥(おいごえ)(7月上)、礼肥(れいごえ)(10~12月)の年3回が理想といわれますが、実際にはなかなかそのようにはいきませんでした。しかし、除草や消毒、剪定(せんてい)ときちんとすれば良いものができます。クリは6月より花が咲き(写真3-2-6参照)、実をつけ始め、早生(わせ)、中手(なかて)、晩生(おくて)の品種によって収穫は8月末~9月下旬が一番多くなります。
 自然に落下したものを収穫する場合は、午前中の涼しい間に拾わなければなりません。遅れると高温にさらされて腐りやすく、コオロギやイノシシの被害に遭うこともあります。樹上の収穫では、成熟したクリを竹棹(たけざお)でたたいて落としますが、傷がついて腐りやすくならないようにクリを強くたたきすぎないことに注意しました。
 収穫期には、原則として朝・夕の2回くり拾いをします。長靴、手袋、鎌(かま)と腰に籠(かご)というスタイルで、前かがみになるので大変腰が疲れました。収穫したクリはできるだけ早く農協(現JA)などへ出しますが、家で保管する場合は土やおがくずで囲んだり小川に浸(つ)けたりもしました。臭(くさ)みが出てよくなかったので、現在は、ほとんど剥(むき)きくりにして冷凍保存にしています。」

  ウ 多彩な栗料理を楽しむ

 クリの適地とされる勾配(こうばい)が10度内外の傾斜地で栽培される中山栗は、でんぷん質が他の地域のものよりすぐれており、多様な料理や菓子作りに用いられている。
 秋の9月以降がクリの出番である。戦後から日常よく料理されてきたものを奥さんの**さんに聞いた。
 「くり飯はクリの鬼皮(おにかわ)と渋皮(しぶかわ)を取り、水にさらしてから麦か米と調味料を合わせ炊きますが、クリの甘みと香りが調和し、あっさりした味になります。簡単にできますので、クリの季節にはどの家庭でもよく食べています。くりずしはすし飯とクリの入った具を混ぜあわせたもので、具にはクリとニンジン・ゴボウ・シイタケ・かまぼこなどを取りそろえます。色あい、風味ともによいので、祭りやお祝いごとに欠かせない一品です。また、粒が大きいクリを使い根菜(こんさい)をふんだんに入れて作るにごみ(写真3-2-7参照)も華やかなごちそうです。くりおこわは、アズキ・クリ・もち米をあわせ蒸した赤飯風(せきはんふう)と、山菜・クリ・もち米をあわせた山菜風(さんさいふう)があり、共に栄養豊富です。特に山菜おこわは日常食としてよく作りました。
 副食やおやつ、菓子として料理されるものもたくさんありますが、最も手軽なものは茹(ゆ)でぐりで、自分の家ではもったいないので虫喰(く)いグリをよく利用しました。また、茹でぐりで作る『勝ち栗』(乾燥させて殻と渋皮を取り除いて食べるクリ)は何事にも勝ち運を呼ぶ縁起物(えんぎもの)として正月の歳(とし)とり行事にも利用しました。また、サツマイモの裏ごしとクリの甘露煮(かんろに)をあわせたくりきんとん、渋皮のまま重曹(じゅうそう)で茹でて作るクリの渋皮煮もよく作りました。」
 その他、現在では、くりまんじゅう、くりタルト、くり羊羹(ようかん)、ケーキのモンブラン、クッキーと食感をそそる華やかな菓子作りの工夫がなされ、クリの用途はますます広がっている。
 第16回を迎えた中山町栗祭りは、今年(平成15年)9月23日、町内外からの多くの参加者でにぎわった。

写真3-2-6 花が満開のクリ園

写真3-2-6 花が満開のクリ園

中山町下長沢。平成15年6月撮影

写真3-2-7 クリのにごみ料理

写真3-2-7 クリのにごみ料理

平成15年10月撮影