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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(3)まつる食

  ア 四十九日まで

 別子山保土野地区の四十九日(しじゅうくにち)までを、火葬の例で述べる。四十九日までの法事を、**さんは、「お骨(こつ)は、四十九日までは家で祀(まつ)るところが多いです。その間、毎日お線香とろうそくに火をともし、ハナシバ(シキミ)の水を毎日取り替えてあげます。『亡くなった人は、水で行(ぎょう)をして旅立って行く。』といわれていまして、水は1日に何回替えるという決まりはありませんが、多いほど良いのです。葬儀後3日目をミッカビチヤといって、葬儀の時の祭壇から簡単な祭壇に替え、お経をあげてもらいます。葬儀後7日目がヒトナヌカで、この時に御霊供膳(りょうぐぜん)(写真2-2-13参照)などのお供えや果物を新しくします。その後7日ごとにお供えを新しくして、ヒトナヌカ(初七日のこと)から数えて合計7回目が四十九日です。」と話す。
 四十九日の法事について、**さんは次のように言う。「四十九日には故人の行(ぎょう)も終わり、親族や特に故人が親しかった人を呼んで法事をし、お坊さんにも読経してもらいます。お骨もお墓に納めます。この時にシジュウクノモチ(四十九の餅)を作ります。1升餅(約1.8ℓ、約1.5kg)を搗(つ)いて、この餅は手、この餅は足などと人の体になぞらえながら丸餅を作っていき、最後に頭の餅を作って上に載せてあげます。故人は、49日間の行を終えて飛び立っていくのですから、頭の餅は『屋根のうね越せ』といって屋根の上に放り投げます。残りの48個の餅は、仏壇にお供えしていた果物やお菓子と一緒に、お客さんにお下がりとして渡します。」この餅がなぜ手や頭を表わすのか不明ではあるが、四十九の餅は49日間の死者の命の象徴であろうとされ、屋根に投げ上げる動作は、このことによって死霊が家を離れるのであろうとも考えられている。

  イ ミショウガツ(巳正月)

 死者が初めて迎えるお盆を新盆といい、初めて迎える正月を巳正月、ミンマ(巳午)、タツミ(辰巳)、カンニチ(坎日)などという。盆については前節に詳しいので、ここでは巳正月を取り上げる。巳正月は、主に四国地方の行事で、正月といっても1月ではなく、12月の最初の巳の日を中心に行われる。
 別子山保土野の**さんによると、「12月の最初の辰(たつ)の日と巳(み)の日を、死者のお正月といっています。お墓には注連縄(しめなわ)を張ります。注連縄は3か所でわらを垂らして作りますが、辰巳の注連縄は、垂らしているわらの本数を普通の正月とは違えて作ります。普通の正月は3・5・7本で、辰巳は4・2・3本で作るのです。それにこの地区では、普通の正月の注連縄には、赤い茎のワカバ(ユズリハ)とウラジロを飾りますが、辰巳の注連縄に飾るワカバは、茎が緑色のものを使います。」と言う。
 辰巳の行事は**さんによると、「正式には、辰の日と巳の日の境、つまり真夜中に行われるものです。家の仏壇には、あらかじめ豆腐1丁を準備し、箸を1本立ててお供えしておきます。墓地へは、1升餅を搗いたままで形も整えずにお盆に載せ持って行きます。お墓にお供えした後、包丁で切って火であぶり、後ろ手で肩越しに、一緒に来た親戚の人に渡して食べてもらいます。余った餅は持ち帰り、豆腐と一緒にお雑煮にして食べていました。この日の料理は、こんにゃくの白和(しらあ)え、煮しめなど、家ごとに異なります。精進料理では口にしなかったゾウモノも、この時には食べていました。
 辰巳が終わった翌日の午の日には、地区の人たちがお祝いとしておはぎを作り、辰巳の行事をした家に持って行って祝い直しをしてあげます。おはぎはもち米やアズキで作っていますから、ブク(服)をフク(福)に変える力があるといわれています。これをオウマサン(お午さん)の祝いと呼んでいました。」と話す。
 細かな儀礼の由来は分からない。死者の正月であるからわざと普通と異なる仕方を選んだとも考えられる。いずれにしても、新しい正月を迎えるに当たり、死のけがれと決別する行事であろうとされている。