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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(2)おくる食

 ア マクラメシ(枕飯)

 伊予(いよ)郡松前(まさき)町昌農内(しょうのうち)地区は松山平野の南西部を占める水田地帯で、先進的な農業経営がなされた地域であった。昌農内の**さん(大正2年生まれ)、**さん(大正3年生まれ)、**さん(大正8年生まれ)、**さん(大正9年生まれ)、**さん(大正11年生まれ)に話を聞いた。
 **さんは、「人が息を引き取るとすぐに枕飯が炊かれます。枕飯は喪家(そうか)の人ではなくて、組内の他人が炊く決まりでした。1合(約180㎖、約150g)ほどの米で、お茶碗一杯に余らないように、不足しないように小さな鍋(なべ)で炊いていました。山盛りにして茶碗(ちゃわん)に盛りつけ、箸(はし)を1本立てます。」と枕飯の作り方を話す。『社会科のための民俗学』によると、枕飯は「死者へのお供えだとされるが、しかし、これも(末期(まつご)の水と同じで)死者の蘇生(そせい)を願うものだという考え方もある。病人に対して竹筒に入れた米粒を振って見せ、病気がなおるというフリゴメの話のように、米にはマジックな力があると考えられている。(⑮)」と枕飯の意義を述べている。
 さらに**さんは、「このほかに枕元にはシキミを1本立て、お団子(だんご)も準備します。お団子も枕飯と同じように、やはり他人が米の粉を残さないように、大きくても小さくても6個作ります。これはあの世に行く時の6文銭だと言い伝えられています。水で練って丸めるだけで、蒸すことはありません。このような準備をして、お通夜が行われます。」と話す。死者の服装も整えられる。**さんは、「普段は縫い返しをしながら縫うんですが、この時はしません。縫い返しをすると不幸ごとが繰り返すといって嫌うんです。足袋も左右逆に履かせます。葬式の時には何でも普段とは違うことをします。」と言う。
 逆に普段には、葬儀の時と同じことをしないよう教えられる。**さんは「一日餅(もち)は焼かない」とか「北枕に寝てはいけない」・「左前に着物を着ない」・「茶碗に箸を立てない」などの禁忌を挙げる。『愛媛県史 民俗下』は、これら禁忌の根拠として、「いずれもそれらが葬送儀礼や死者供養に固有な儀礼的要素であったことに由来している。」とし、「この世とあの世のかかわりをみつけようとすればあるいは死の世界は『さかさまの世界』であると言えるかもしれない。(③)」と述べている。

 イ 葬式組とショウジンヤド(精進宿)

 東宇和(ひがしうわ)郡城川(しろかわ)町土居(どい)地区は、九十九曲(くじゅうくまがり)峠を越えて高知県の檮原(ゆすはら)町に通じる街道の要地で、早くから宿場町が形成され、旧土居村の中心地であった。土居地区では葬式組が活動する場である精進宿がおかれる習わしがあった。このことについて城川町土居の**さん(明治44年生まれ)、**さん(昭和4年生まれ)に聞いた。
 **さんは、「土居には5~7戸で構成される五人組があって、その幾つかが集まって40戸くらいで区を作っていました。人が亡くなると五人組から区へ連絡が行きます。区長は全戸にふれて回り、喪家(そうか)の近くにあるやや広い家を選んで、精進宿として借り受けます。喪家の親戚(しんせき)の家は精進宿にしないのが原則です。この精進宿に、区の1戸から一人は出てきて葬儀の段取りを相談するのです。」と言う。
 葬式組の仕事は、ほとんど葬儀全般にわたる。その仕事の一例を、**さんは次のように話す。「喪家と相談してお寺に連絡し、葬儀の日取りを決めます。お寺にある灯籠(とうろう)などの葬具を借りてきて、破損しているところを修理します。棺の内側と外側には障子紙を貼(は)り、その上に金紙や銀紙で家紋を作って両側に貼ります。家紋を間違えたら大変なので、喪家の蔵の屋根や提灯、羽織などを見て確かめますが、細部が分からない時は紋帳(もんちょう)(各家の紋を集めた本)で確かめていました。たいていの場合手先の器用な人がいて上手に作っていました。」
 **さんは、「精進宿の料理は、葬式組で葬儀の準備をしている人が食べるためのものです。準備は、お通夜の翌日の朝からしていますから、昼食と夕食の2回作っていました。喪家は喪家で別に食事を作りますので、2か所で食事ができていました。たまに喪家から『おすしだけ作ってもらえませんか。』と言われて作ることはありましたが、普通は精進宿で作った料理を喪家に持って行くことはありませんし、喪家が葬式組の食事を作ることもありませんでした。けがれを避ける意味もあったんでしょうか。」と言う。喪家の火を使うことで、死のけがれが葬式組の人々に移ることを防ぐ別火(べっか)の考えが見られる。精進宿の食事について、**さんは、「昼食は簡単な料理で、ちらしずしにお吸い物、夕食は鉢盛料理で精進落としをしていました。」と言う。

 ウ 出立ちの膳

 新居浜市別子山保土野(ほどの)地区は、別子銅山で知られる旧別子山村の西部で、赤石(あかいし)山系の南麓(なんろく)に位置し、小・中学校が置かれている地区である。この地区では、火葬と土葬の両様が行われていたが、火葬の例を中心にして保土野地区の**さん(大正9年生まれ)に話を聞いた。
 葬式に先だって死者を納棺する。この時、枕飯は弁当として棺に入れ、団子は火葬場まで持って行く。**さんは、「枕飯のほかに、おこづかいとしてハナシバ(シキミ)の葉を6枚入れます。『いくらお金があっても持って行けない。』といわれるのはこのことで、亡くなったらこのハナシバ6枚しか使えません。さんや袋(僧が修行に出る時、首に掛けるだぶだぶの袋。ずだ袋)には、弁当、ハナシバの葉、故人が好きだったものを少しずつ入れます。」と話す。この後、僧侶(そうりょ)の読経など葬式が行われる。
 出棺に先立って死者と離別のための共同飲食がある。これをデダチノゼン(出立ちの膳)といい、精進料理が用意される。**さんは、「葬式の後出棺になりますが、これをデダチ(出立ち)といいます。出立ちの時には食事を作り、亡くなった方にも生きている時のようにお膳を据えて、お坊さんや親戚の人たちみんなで食事をします。」と言う。
 出立ちの膳について、**さんは、「お平(ひら)とかお壺(つぼ)などのお椀(わん)がついた本膳を使います。お膳は模様がほどこされていない葬儀用の本膳です。この地区では共同のものを持っていますが、なにしろ漆塗りの本膳ですから出し入れが大変で、最近は使いません。料理は、祝儀ごとのように奇数にはこだわりません。しかし、切り方は普段とは変えます。例えば、ゴボウは斜めに削ったりせず3cmほどのぶつ切りにして、縦に途中まで切り目を入れます。ニンジンは花柄などにせず四角に切り、コンブも四角に切るだけで結んだりせずに煮つけるなどのしきたりがありました。」と話す。料理については、味噌(みそ)汁は、白味噌を使い、豆腐を小さくさいの目に切って入れるが、ネギは使わない。煮物は、シイタケ・油揚げ・高野豆腐・ニンジン・ゴボウ・コンブなどを使う。こんにゃくの白和(しらあ)え、ウズラ豆の煮豆、それにご飯である。
 **さんは続けて、「葬儀に参列する人は、懐にゾウモノ(魚など内臓のあるもの)を入れて行きます。大抵は、尾頭付きのいりこを2匹でした。そうしておけば、ブク(服。喪に服する意味であるが、この場合は死者の障りを指す。)を避けることができるとされていました。また、亡くなった人と同(おな)い年(どし)の人が、納骨や土葬の時の穴掘りに参加する場合には、羽釜(はがま)を頭に一度かぶってから参加すると障らないといわれていました。」と話す。
 出棺の時に、枕飯を入れていた茶碗を割る。その後葬列は火葬場に向かう。**さんは、「火葬場の近くに、最後のお別れをする場所がありました。そこに六地蔵が祀(まつ)ってありましたので、持ってきた団子や果物・お菓子をお供えします。六地蔵がこれから故人を導いてくれ、お供えした団子は、最後には餓鬼に与えられるということでした。」と話す。

 エ 精進料理

 伊予(いよ)郡広田(ひろた)村は、肱(ひじ)川の支流田渡(たど)川の上流部にある村で、総津地区はその南部に位置している。広田村総津(そうづ)地区にはトキノメシ(斎の飯)と呼ばれる精進料理があり、翌日のトイアゲ法事には精進落としの料理が出る。広田村総津地区の**さん(大正11年生まれ)、**さん(昭和6年生まれ)夫妻に話を聞いた。
 **さんは、「葬儀の晩に会葬者で食べる精進料理を、斎(とき)の飯(めし)といっています。そんなにたくさんの料理が出るわけではありません。煮豆、酢の物、豆腐やこんにゃくやジャガイモなどを炊いた煮物、豆腐と時期の野菜を入れた味噌汁、ご飯、それに小さな餅(もち)と酒がつく献立です。しかし、作るのは大変でした。亡くなった連絡が入ると、葬式組の9軒の女の人が、まず豆腐とこんにゃく作りを始めます。豆腐とこんにゃく作りは時間がかかるんです。豆腐は大豆をひたして置く時間がいるし、こんにゃくもコンニャク玉をゆで、臼(うす)でつぶし、灰汁(あく)を入れた後また湯がいてと手間がかかります。灰汁は雑木の灰を新聞紙にとって、上から水をかけて取っていました。」と言う。斎の飯を食べる時には、まず、葬式組がモウソウチクで作った49膳の箸(はし)の一つを使って食べる真似をし、後は普通の箸を使って食べる。モウソウチクの箸は、後で集めて墓前に供える。
 **さんは、「斎の飯が終わると、和尚さんを中心に参列者で念仏を唱えます。参列者が二手に分かれ、右側の人たちが唱え終わると、次は左側が唱えるという具合に掛け合いで繰り返します。左右が唱えて1回の勘定で、36回唱えるとそろばんで回数を数えていた人が合図して鉦(かね)をジャンジャンとならします。これを3回、合計108回唱えて終わりです。」と話す。これで葬儀の儀礼が終了する。
 翌日のトイアゲ法事では、精進落としが行われる。**さんは、「精進落としの料理といっても特別な料理ではありません。斎の飯に、サバの煮付けやかまぼこがついたくらいです。戦前には、刺身なんかは出ませんでした。これで平常の生活に戻ったのです。」と話す。