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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(1)久万山の食材の復活

 平成14年(2002年)10月30日・31日、京都府京都市において開催された「第53回日本学校農業クラブ全国大会」に四国代表として出場した愛媛県立上浮穴(かみうけな)高等学校学校農業クラブの発表は、優秀賞の栄冠に輝いた。テーマは「久万山郷の伝統料理に用いる在来農作物の保存・継承活動と特産品開発の試み~幻の『久万大豆』復活への願いを込めて~」であった。発表内容は、平成12年(2000年)1月に愛媛新聞に掲載された「自給増へ久万山大豆復活を」という投稿記事を目にした1年生2名が中心となって、久万(くま)町でも栽培が途絶えていた久万大豆の種子を探し当て、栽培し、商品化していった試みをまとめたものである。上浮穴高等学校学校農業クラブでは、平成13年(2001年)以降、在来農作物の保存・継承活動に取り組み、さまざまな研究を行っている。
 県の中南部、上浮穴郡の北西に位置する久万町は、山間部にもかかわらず耕地の占める割合が比較的大きく、地味はおおむね肥沃(ひよく)であり、上浮穴郡の穀倉とも呼ばれる(⑰)。この地域で栽培されていたさまざまな種類のダイズは、総称して久万山大豆と呼ばれていた。その中から中粒・中生(なかて)種の久万大豆と、大粒・晩生(おくて)種の面河(おもご)大豆が昭和32年(1957年)ころ、久万農業試験場の手によって作り出された。久万大豆は、愛媛県の奨励品種に指定され、生産量が増大したが、昭和36年(1961年)にダイズの輸入が自由化され、外国産の価格の安いダイズが流入した結果、しだいに栽培されなくなり幻のダイズと呼ばれていた。
 郷土料理を調べ研究テーマを探していた1年生2名が、前述の投稿記事を目にして、久万大豆復活への取り組みを始めた。まずは種子を探したが、久万町内や久万地域農業改良普及センターでは見つからなかった。ようやく、県農業試験場(北条(ほうじょう)市)で栽培していた種子約2kgを分けてもらったという。
 平成13年5月、久万大豆の種120粒を、比較研究のための煮豆用黒ダイズ、表皮が緑色の黄粉(きなこ)用青ダイズ、枝豆用の茶ダイズとともに種まきをした。栽培方法も分からない状態で試行錯誤し、結果からみると平成13年度は、植付け時期が早すぎたために草丈が大きくなり実入りが悪かった上に、紫斑(しはん)病(糸状菌により発生するダイズ表面が紫色に変色する病気)にかかってしまい、思ったほどの収穫を上げることができなかったが、約5kg収量があった。久万大豆は、適地栽培のため農薬をあまり必要とせず、食味がよいので、ぜひとも復活させ、地域に普及させたいとの思いを強くしたという。
 生徒たちは、久万大豆を復活・定着させるには、それが生活の中でどう使われてきたのかを調べるとともに、久万大豆を使った新製品を開発して地域の人が作ろうという意欲を喚起しなければならないと考え、次のような取り組みを行った。
 まず、久万町文化財保護委員の**さん(前述の新聞記事の投稿者)に、郷土料理の作り方を教えてもらって、久万地域に伝わる「ひろうす」、「ぼっかけ」、「いりこ飯」、「カキ菜(ざい)」を作り、試食した。ひろうすは、すりつぶした豆腐におからと卵を加え、ニンジンや干ししいたけ、ゴボウなどを混ぜ合わせて油で揚げたもの。ぼっかけは、ニンジンやゴボウなどの野菜とキジやニワトリなどの鳥の肉を醬油(しょうゆ)味で煮立てた汁をご飯にかけて食べるもの。カキ菜は、鳥肉の代わりに豆腐を使ったぼっかけ。いずれもダイズや地元の野菜などを使った郷土料理であり、素朴な味でおいしかったという。また、この時、新製品開発の取り組みとして、「深山(みやま)しめじのなめ味噌(みそ)」と「ヤーコン(主に塊根(かいこん)と呼ばれるイモの部分を食用とする南アメリカ原産のキク科の多年草)入り深山しめじ味噌」を作った。二つの製品は「幻の久万大豆復活シリーズ」と命名され、地元の特産物市場に並べられた。
 次に取り組んだのが、ダイズを原料とする豆腐作りである。最初は、加えるべき水分やにがりの量が分からず、柔らかすぎたり固すぎたりと試行錯誤しながら、「久万」の文字が浮き出た豆腐作りに成功した。生徒を指導した同校教諭の**さん(昭和32年生まれ)によると、「文字をより鮮明に浮かび上がらせるためには、にがりの量を多くして固くしなければなりませんが、にがりの量が多くなるとまずくなります。適正な分量にするために苦労しました。」とのことである。
 この豆腐作りは新聞やラジオに大きく取り上げられ、県内外から多数の問い合わせがあった。なかには、浜松市からの久万大豆を使った醬油を作りたいとの問い合わせや、自分でも栽培したいので種子を分けてほしいなどといった申し出もあり、生徒たちの手で希望者に久万大豆の種子を配布した。また、久万町役場からも取材を受け、有線放送やホームページでも紹介され、町民の間にも久万大豆への関心が広がっていった。久万豆腐の販売やシンポジウム、地域おこしイベントへの参加要請などが続いて、県内外からの予想以上の反響に驚いたという。
 こうした反響に応えて、平成14年度は約2kgの種子を植え付けた。前年の反省から植付け時期を遅くし、紫斑病対策をした結果、秋には79.4kgの収穫があり、久万大豆復活の見通しが立ったという。さらに生徒たちは、新聞紙上に掲載された久万豆腐の記事を見た美川村出身で北条市在住の**さんの助言をもとに、天然のにがりとアルカリイオン水を使った竹豆腐作りに取り組んだ。竹筒を容器にすることで、豆腐にほのかな竹の風味がついたり、竹の殺菌作用で鮮度を保つことができるそうである。
 学校農業クラブの生徒たちは、久万町で行われるさまざまな催しに参加するだけでなく、「子どもたちを含めた消費者全体に、久万大豆や久万の特産品の味を知ってもらおう。」と保育園や特別養護老人ホーム等へも出かけて行って、園児や高齢者と一緒にきび餅(もち)をつき、竹豆腐を実演試食している。また、その際、久万大豆200g程度を小袋に入れて配布し、普及に努めているという。
 このような試みに生徒とともに取り組んできた**さんに話を聞いた。
 「3年前、当時の1年生2名と始めた時には、現在の状況はとても想像できませんでした。**さんの投稿記事も偶然ですし、久万大豆に行き当たったのも偶然でした。一般の方や農業試験場の方などのバックアップで現在に至りました。
 久万大豆の栽培に成功した2年目からは、久万山大豆から作り出された久万大豆と面河大豆に付加価値を付けて、地域の特産品に育てたいと考え、豆腐や味噌(みそ)作りに取り組みました。地域の方々の評判も上々ですし、テレビや新聞の取材もたくさん受け、反響の大きさにびっくりしています。」
 2年目から参加した3年生の6人の生徒にも話を聞いた。
 「作業の中では、ダイズの収穫作業が大変でした。畑から抜いてきたダイズを乾燥させ、足踏み脱穀機や唐棹(からさお)(豆類やアワなどの脱穀や麦打ちに用いる農具)を使って脱穀し、その後唐箕(とうみ)(穀物を精選して籾殻(もみがら)・大豆殻・ごみなどを除去する道具)で実のしっかり入ったダイズとそうでないものに分別します。その後、紫斑病にかかっているダイズを選別するために、一粒一粒、目で確かめていく作業が単調で時間もかかるので嫌でした。でも、保育所や老人ホームに行って、きび餅や竹豆腐を作るととても喜んでくれます。餅の搗(つ)き方やまるめ方を高齢者の方から教えてもらいながら、楽しく交流することができました。
 始めたころには、こんなに広がるとは思ってもいませんでした。テレビや新聞などの取材がたくさん来て、照れくさい気持ちでしたが、久万大豆を広めることができてよかったです。これからも私たちは、久万山ならどこにでもある『久万大豆』を目指して活動していきたいと思います。」
 今年(平成15年)7月には、消費者自身が豆腐作りに挑戦して手作りのよさを味わってもらおうと、地元のヒノキやスギを使った木製手作り豆腐セットを製作した。水に浸し、すりつぶしたダイズを煮た“ご”(呉汁(ごじる)ともいう。)を豆乳とおからに分ける絞り器、成型する型箱、女生徒が手縫いした呉汁を入れる布袋、凝固剤(にがり)、温度計、久万大豆(420g)の6点がセットで販売されている。
 なお、面河大豆については、種子を保存しているところは県内にはなく、生徒たちが調べた結果、植物遺伝資源を保存している独立行政法人農業生物資源研究所ジーンバンク(茨城県つくば市)に保存されていることが分かり、平成14年、45年ぶりに68粒が里帰りし栽培され、約3kgの収穫があったという。平成15年度も2kg余りを植え付け、100kg程度の収穫が予想されている。
 来年度以降も、久万大豆と面河大豆は学校の圃場(ほじょう)(畑)で栽培し、種子を保存するとともに地域への普及を図っていく予定であるという。