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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業26-松山市③-(令和6年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1章 昭和の町並みをたどる

 松山(まつやま)市は平成17年(2005年)、旧松山市と北条(ほうじょう)市、温泉郡中島(なかじま)町が合併して誕生した。県の中央部に位置し、北は今治(いまばり)市、東は東温(とうおん)市、南は上浮穴郡久万高原(くまこうげん)町、伊予郡砥部(とべ)町、松前(まさき)町に接し、西は瀬戸内海に面している。
 加藤嘉明が慶長7年(1602年)から築城を始めた松山城を中心に市域は発展を続け、明治6年(1873年)には愛媛県庁が設置された。県都として政治経済の中心都市として成長し、平成17年に北条市、中島町と合併すると四国で初めて人口が50万人を超えた。
 松山市の東部は、伊予鉄道横河原線沿線の平井に商店街が栄え、南部には、昭和40年(1965年)まで伊予鉄道森松線があり、終点の森松駅の周辺には多くの店が立ち並んでいた。伊予鉄道森松線沿線、現在の国道33号沿いには椿神社として知られている伊予豆比古命(いよずひこのみこと)神社があり、現在も多くの参拝客でにぎわっている。松山東部・南部には、浄瑠璃寺や八坂寺、西林寺、浄土寺といった四国八十八箇所霊場があり、道路端には石の道標や常夜灯があり、遍路文化を求めて国内外から多くの人が訪れている。
 本章では、森松線の終点であった森松駅付近の森松商店街と、横河原線沿線の平井商店街を取り上げ、昭和の町並みと人々のくらしについてまとめるとともに、町並みを復元し、当時のくらしの一端を明らかにした。