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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業23ー松山市①ー(令和4年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 本町と辻町の町並み

 旧北条市の中心部に当たる本町と辻町は、江戸時代、松山城下と今治城下を結ぶ街道上に位置していたため、在郷町、宿場町として存在していた。江戸時代初期、伊予国は加藤嘉明領と藤堂高虎領に2分されていた。その後、加藤領の系譜を引く松山藩と藤堂領の系譜を引く大洲藩との間で替地が行われ、大洲藩領の飛び地であった風早郡が松山藩領となった。この風早郡とは、旧北条市の南部を中心とした地域で、中でも辻村(辻町)はその北限に位置していた。つまり、本町と辻町は、もともと別の大名家に支配されていた地域で、後で両町とも松山藩の領地となった経緯が存在する。その名残は、本町と辻町の境目で、道路がクランク状になっていることからも伺い知ることができる。
 戦後、本町商店街は周辺の農業地域の需要を満たしながら、日用雑貨を売ることを中心とした地域であった。これに対し、辻町商店街は飲食店や書店、映画館といった娯楽を提供する地域としての性格を持っていた。特に、町の北西沿岸部に昭和13年(1938年)から倉敷紡績(現クラボウ)の北条工場が立地していたため、そこで働く従業員の需要を満たしていた。このように、二つの商店街は役割を分け合いながら戦後を歩んできた。
 二つの商店街は、昭和20年代、昭和30年代はにぎわいを保っていたが、徐々ににぎわいに陰りが見えるようになった。昭和40年代後半には大型スーパーマーケットが出店し、さらに平成の大合併によって市の中心商店街としての役割が薄らいでいった。現在は店舗から住宅への建て替えが見られるようになり、後継者が見当たらず、閉店する店舗が増えているのが実情である。
 本節では昭和30年代の本町商店街と辻町商店街の町並みや人々のくらしについて、本町商店街について、Aさん(昭和19年生まれ)、Bさん(昭和19年生まれ)、Cさん(昭和23年生まれ)、Dさん(昭和26年生まれ)、Eさん(昭和27年生まれ)、Fさん(昭和45年生まれ)から、辻町商店街について、Gさん(昭和12年生まれ)、Hさん(昭和16年生まれ)、Iさん(昭和19年生まれ)、Jさん(昭和21年生まれ)、Kさん(昭和23年生まれ)、Lさん(昭和35年生まれ)から、話を聞いた。