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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業21 ― 今治市① ― (令和3年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 桜井の町並み

 今治(いまばり)市桜井は今治平野の南東端、頓田川右岸に位置する。燧灘に面する志島ヶ原は瀬戸内特有の白砂青松の海岸で、そのほぼ全域が綱敷天満宮の境内である。古代には桜井郷に属し、国分寺・国分尼寺がおかれるなど古くから栄えた。近世に入ると初めは松山藩に属していたが、後に幕領(天領)となってからは、桜井とその周辺の年貢米は御用米として主に別子銅山や大坂へ運ばれるようになり、その航海術を活かした廻船業で桜井は海上交通の要衝として発展した。
 また、桜井は漆器の町、明治30年代後半に、高価な漆器の月賦販売を最初に行った地として知られている。文化・文政(1804~30年)のころ、桜井の商人が、春の上りの船では唐津(からつ)・伊万里(いまり)(いずれも佐賀県)で仕入れた陶磁器を中国地方や紀伊(和歌山県)方面で売り、秋の下りの船では紀伊の漆器を九州に運んだ。これに使った行商の船は「椀船(わんぶね)」と呼ばれた。桜井で漆器が製造され始めたのが文政末期ころからで、天保年間(1830~44年)ころから製法や蒔(まき)絵(え)の技術が向上し、桜井漆器の名も知られるようになった。最盛期は大正時代で、販売方法も月賦販売を取り入れたが、第二次世界大戦後は安価な化学製品に押されて生産が減少した。しかし、所々に残る古い建物や町並みから、漆器業の盛況と商業で栄えた当時の面影を見ることができる。
 本節では、桜井の町並みや人々のくらしの様子について、地域の方から話を聞いた。

 〔聞き取り調査協力者〕
 Aさん(昭和8年生まれ)、Bさん(昭和14年生まれ)、Cさん(昭和16年生まれ)、
 Dさん(昭和19年生まれ)、Eさん(昭和19年生まれ)、Fさん(昭和20年
 生まれ)、Gさん(昭和22年生まれ)、Hさん(昭和23年生まれ)、Iさん(昭
 和23年生まれ)、Jさん(昭和28年生まれ)、Kさん(昭和37年生まれ)