データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業20 ― 大洲市② ― (令和3年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 林業と人々のくらし

 旧河辺(かわべ)村では、スギとヒノキの造林が明治時代中期ころから一部の篤林家によって推進され、スギ、ヒノキなどの木材の産出が多い。林野が総面積の80%以上を占めているが、5ha未満の小規模林家が約6割もあり、林地所有の零細性から経営基盤が弱い。また、近年の林業界を取り巻く情勢は非常に厳しいものがある。木材需要の伸び悩みと木材価格の低迷、加えて過疎化の進行に伴う林業従事者の減少、高齢化の進行による労働力不足により、林業生産活動は低下の一途をたどっている。
 肱川流域のシイタケ生産を支える基盤は、この地域にシイタケのほだ木として最適のクヌギが多いことに求められるが、そのクヌギは従来薪材と木炭に活用されていたものである。旧河辺村で本格的にシイタケの栽培が行われるようになったのは昭和30年代からであるが、これはそれまで盛んであった木炭の生産が燃料革命のあおりを受けて衰退し、クヌギの木炭原木に代わる活用法としてシイタケ栽培が登場したことによる。旧河辺村は夏適度に暑く、冬は厳寒のときもあるというシイタケ栽培に適した気候風土であり、原木の調達が容易な土地柄でもあったことから、シイタケ栽培が盛んとなった。河辺村森林組合(現大洲市森林組合)を中心に原木の植林・縮間伐育林・生産、さらにシイタケの植菌・生産・販売に至るまで総合的に指導し、シイタケ生産農家の育成に取り組んだ結果、シイタケは村の特産品となるほど生産量が増加した(図表3-2-1参照)。しかし、昭和60年(1985年)以降、高齢化による労働力の低下で生産農家が減少し、生産量も減少している。
 本節では、旧河辺村の林業と地域のくらしの様子について、Aさん(昭和21年生まれ)、Bさん(昭和25年生まれ)から話を聞いた。

図表3-2-1 河辺村でのシイタケの取扱量

図表3-2-1 河辺村でのシイタケの取扱量

『新刊河辺村誌』から作成