データベース『えひめの記憶』
伊予の遍路道(平成13年度)
第4節 吉祥寺から県境境目峠への道<注>
<1>西端さかえ『四国八十八札所遍路記』P245 1964
<2>寂本『四国徧礼霊場記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P205 1981)
<3>矢野益治編『注釈西條誌』P181~182 1982
<4>前出注<2>P205
<5>九皋主人写『四国遍礼名所図会』(伊予史談会編『四国遍路記集』P281 1981)
<6>西条市編『西条市生活文化誌』P1568 1991
<7>明比学『西條の歴史探訪』P197 1985
<8>安達忠一『同行二人 四國遍路たより』P148 1934
<9>久門範政編『西條市誌』P848 1966
<10>前出注<9>P933~940
愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史 学問・宗教』P760~762 1985
<11>小林雨峯『四國順禮』P177~178 1932
<12>前出注<9>P824~827
<13>飯岡地区公民館編『飯岡のふるさと探訪』P36~37・39 1993
飯岡公民館・飯岡文化財愛護会編『飯岡の文化財』P32~33 1984
<14>愛媛県教育委員会文化財保護課編『愛媛県歴史の道調査報告書第三集 讃岐街道』P39 1996
<15>新居浜市文化財保護委員会編『新居浜の文化財』P86 1995
<16>『愛媛新聞』平成元年(1989) 7月26日付
<17>土居町教育委員会編『土居町誌』P718 1984
<18>高知県編『高知県史 民俗資料編』P960 1977
<19>喜代吉榮徳「伊予国新居郡関の峠(四)」(新居浜郷土史談会編集部編『郷土史談 第128号』P28 1986)
<20>前出注<19>P28
<21>前出注<17>P713~714
<22>前出注<17>P686
<23>前出注<5>P282~283
<24>前出注<14>P46~47
<25>前出注<14>P47~48
<26>島浪男『札所と名所 四國遍路』P309 1930
<27>伊予三島市史編纂委員会編『伊予三島市史 下巻』P792 1986
<28>伊予三島市史編纂委員会編『伊予三島市史 中巻』P894 1986
<29>前出注<27>P850
<30>澄禅『四国遍路日記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P51 1981)
<31>前出注<2>P206
<32>和田茂樹編著『小林一茶 寛政七年紀行』P19・51 1967
<33>前出注<5>P283
<34>川之江市誌編さん会編『川之江市誌』P911~912 1984
<35>金田の歴史編纂委員会編『金田の歴史』P131 1976
<36>真念『四国邊路道指南』(伊予史談会編『四国遍路記集』P106 1981)
細田周英『四国徧礼絵図』1763 愛媛県歴史文化博物館所蔵
<37>喜代吉榮徳『奥の院仙龍寺と遍路日記』P40~41 1986
<38>真念『四国邊路道指南』(伊予史談会編『四国遍路記集』P106 1981)
<39>前出注<37>P12~15
<40>前出注<37>P26~29
<41>前出注<2>P206
<42>前出注<30>P51
<43>前出注<30>P51
<44>前出注<5>P283
<45>前出注<18>P961
<46>前出注<18>P961
<47>前出注<11>P175
<48>前出注<30>P51
<49>愛媛県教育委員会文化財保護課編『愛媛県歴史の道調査報告書第四集 土佐街道笹ヶ峰越え』P22 1996
<50>前出注<34>P922
<51>前出注<34>P530~531
<52>前出注<30>P51
前出注<38>P106
<53>山川晃雄編『川之江市の道標』P24 1988
<54>前出注<49>P7
<55>橋本徹馬『四國遍路記』P24 1950
<56>前出注<8>P155