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伊予の遍路道(平成13年度)

(2)誓松延命寺から伊予三島市「へんろわかれ」へ

 遍路道は、商店の続く町並みの中を通りJR伊予土居駅の南を通過すると、道の左に藩政時代の高札場(こうさつば)跡の広場がある。かつて春の季節に中村の青年たちが家々から餅(もち)や米を集め、縁台を出して接待を行っていた場所である。接待返しに遍路からもらった納札はまとめて藁(わら)縄に挟み、日本廻国の供養塔ともなっている広場の地蔵の首にかけたという<24>。
 さらに、江戸時代の儒学者近藤篤山の生家を過ぎて小林集会所まで進むと、集会所前には幾つものベンチや椅子が並べられており、歩き遍路の休憩所となっている。小林地区では、道の右側にひときわ大きな自然石を組み合わせた全高3mにもおよぶ常夜灯を見ることができる。ここに限らず、土居町・伊予三島市の街道沿いには、地元の人々によって建てられた自然石の常夜灯が目につく。
 続いて尾山池の北側堤防を通り、国道11号を横切ってかご池手前の西大道集会所前まで行くと、遍路道標を兼ねた金毘羅道標㉖と地蔵の台石の道標㉗が並んで立っており、村山神社の入口手前にも徳右衛門道標㉘がある。なお、徳右衛門道標のあたりから通称「あか道」と呼ばれる別の道が分岐していたともいわれるが、その痕跡は残っておらず詳細は不明である<25>。
 面白(つらじろ)川に架かる星流(せいりゅう)橋のたもとには、橘地蔵と呼ばれる道標㉙がある。松山自動車道土居インターチェンジの道路下をくぐり、大地(おおじ)川に架かる大地橋を渡って伊予三島市に入ると、道の左側に遍路道標を兼ねた金毘羅道標㉚が立ち、豊岡橋を渡った道筋の**邸(豊岡町大町2086)脇にも地蔵の台石の道標㉛がある。このあたりは高台の遍路道であり、道の左側は、海岸に沿って東西に広がる平野とそこを走る国道11号・JR予讃線を眼下にすることができる。
 やがて、道は下って寒川(さんがわ)町に入る。寒川中部集会所の角に3基の道標が立っており、そのうち真ん中の1基は徳右衛門道標㉜である。四国電力寒川変電所南の三差路にも道標㉝がある。ここから先は、喜蔵川・樋の尾谷川・大谷川など小さな川に架かる橋を次々と渡って行く。
 やがて、中之庄町頭王(ずおう)の通称「へんろわかれ」と呼ばれる三差路に至る(写真3-4-12)。讃岐街道はここで左折し、現在の伊予三島市・川之江市の市街地を通って香川県に向かう。遍路道は曲がらずに直進するため、西条市吉祥寺の南で讃岐街道と合流した遍路道は、ここで讃岐街道と分岐することになる。この三差路には、「右はし久ら道」と彫り込まれた大きな復元道標と、前神寺・三角寺・奥の院を手印で指し示しか茂兵衛道標㉞が立っている。

写真3-4-12 伊予三島市の「へんろわかれ」

写真3-4-12 伊予三島市の「へんろわかれ」

直進するのが遍路道であり、ここで讃岐街道は左折する。平成13年6月撮影