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伊予の遍路道(平成13年度)

(3)飯岡から関ノ戸へ

 遍路道は、祖父崎池の北を過ぎるとすぐ国道11号を横切り、原八幡神社の南を通過して亀の甲地区を行く。南の山手には松山自動車道の西条インターチェンジが見える。西条市から新居浜市大生院(おおじょういん)に入り渦井川橋を渡った萩生(はぎゅう)岸ノ下地区には、かつて遍路もよく利用した数軒の宿屋の集まっていた一角があり、そこの商店(岸ノ下1431-5)角に道標⑰が立っている。宿屋を営んでいた家のうちの何軒かは、今も雑貨商・すし屋などとして商売を続けている。さらにしばらく行くと銀杏(いちょう)の大木と大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるが、この西隣りの小さな空き地がかつて接待のための茶堂があった場所である<14>。また、遍路道からいったん南に外れて萩生寺まで行くと、境内入り口に徳右衛門道標⑱が立っている。いつのころか、遍路道の道筋から移されたものであるらしい。
 萩生寺の東には、西条市の柴井の泉と同様、弘法清水伝説を持つ大師泉と萩生大師堂がある(写真3-4-7)。大師泉は岸ノ下断層線に沿って地下水が地上に湧出(ゆうしゅつ)しているもので、新居浜地方におけるオオバタネツケバナ(通称テイレギ)の唯一の群生地域である<15>。泉に隣接する萩生大師堂は「泉大師」と呼ばれ、地域の老人会によって世話されており、当番が毎日清掃して供物(くもつ)を供えている。月に1回全員で集まり、会食・懇談を楽しむ交流の場ともなっているようである<16>。
 さらに遍路道を行くと、県道新居浜港線を越したあたりから徐々に商店が目につくようになる。やがて、県道新居浜角野線との交差点を横切って喜光地の商店街に入る。アーケード街の中を通る遍路道は珍しい(写真3-4-8)。商店街東口の駐車場に4基の道標が並んで立っているが、左端の道標⑲と右端の道標⑳が遍路道標、真ん中の2基は金毘羅道標と土佐三宝山への道を示した道標である。
 その後、道は国領川に架かる国領橋の60m余り手前で左右に分岐する。左は明治25年(1892年)の道路改修により国領橋が架かる以前の道、右は架橋以降現在に至る道である。左の道を行くと、道が川に突き当たって袋小路になった場所に地蔵が祀られ、その傍らに徳右衛門道標㉑がある。国領川のこの付近にはかつて橋はなく、高浜虚子の父親である池内荘四郎の嘉永3年(1850年)の旅日記によると、彼は降りしきる雨の中を腰まで水につかりながら徒歩で川を渡っている。さらにその後、関ノ戸の峠付近の宿で聞いた話として、「松山御城下の町人三人連れ、川を渡るの処三人共に流れ、両人は漸く助かり、一人溺死、死骸は川下にて引上候よし、宿主物語<17>」と書き記している。当時の渡河の危険がよくわかる記述である。
 国領橋を渡って住宅街の中を緩やかに上がり、坂の下バス停留所付近から今度は逆に下り始める。このあたりを柏坂と呼び、山際に、交通安全を祈って建立された大きな観音像と新居浜新四国霊場の二十番札所坂の下大師堂がある。遍路道は、大師堂を過ぎたあたりから国道11号との合流と分岐を繰り返して東に向かう。右に棚田と松山自動車道を見ながら、船木関ノ戸地区に向けて徐々に上り続ける。途中、道面(どうめん)自治会館の敷地内には新居浜新四国二十二番霊場の道面地蔵堂があるが、かつてここは旅人たちの休憩所であり、遍路の接待場所でもあった。道面の急坂を上りきると関ノ戸である(写真3-4-9)。
 関ノ戸の峠は旧新居郡と旧宇摩郡の郡境であり、古来、関所が置かれていたとも伝えられる交通の要地である。現在でも、ここが新居浜市と宇摩郡土居町の境となっている。かつて新居浜市側の関ノ戸地区では、多くの宿屋が狭い平地部分に軒を並べていた。文政2年(1819年)に書かれた新井頼助の遍路日記には、当時の関ノ戸について「平山越しノ所二町続キ至極能所也。店々ニ珍物出し酒肴出して、留メ女二人引合也。<18>」と、そのにぎわいの様子が記されている。
 なお明治の末ころ、ここに大阪の富豪によって新しい番外霊場の建設が進められていた。当時の遍路案内記の中に、「豪富藪田章三氏が施主となり、万金を投ぜられて四国巡拝者の労を慰めんとて、宏大なる通夜堂本堂の建設落成し、目下内部の造作中で、最早日ならず竣工を告げられる由。<19>」とある。しかし結局、彼の破産によって完成間近の建物はどこかに持ち去られたということである<20>。国道11号が開通した今は、関ノ戸地区の中央を自動車がひっきりなしに走っている。

写真3-4-7 大師堂と萩生大師堂

写真3-4-7 大師堂と萩生大師堂

右手前が大師泉、後方が萩生大師堂である。平成13年6月撮影

写真3-4-8 喜光地の商店街

写真3-4-8 喜光地の商店街

遍路道がアーケード街の中を通る。平成13年6月撮影

写真3-4-9 船木関ノ戸

写真3-4-9 船木関ノ戸

後方が峠となっている。平成13年6月撮影