データベース『えひめの記憶』
伊予の遍路道(平成13年度)
(3)塩ヶ森から浄瑠璃寺へ
前述のように三坂峠から浄瑠璃寺に至る遍路道は、峠から旧街道及び遍路道を桜集落に下るのが主な道であった。しかし、昭和9年(1934年)に松山・久万間に鉄道省の省営バスが開通する<14>と、一部の遍路は三坂峠から塩ケ森までバスで下り、尾根道を通って浄瑠璃寺に向かうようになった。
昭和9年に塩ケ森から浄瑠璃寺に下った安達忠一も、三坂峠から乗合自動車は2里10町先で下車し、右へ小径をだらだらと池の端を通って20町で県道の久谷に出て、浄瑠璃寺まで約4町<15>だと記しており、バスを利用して浄瑠璃寺に向かっていた様子がうかがえる。
松山市久谷方面を一望できる塩ケ森のJRバス停近くには、昭和31年(1956年)に建てられた道標(写真2-2-7)がある。この道標から農道を下り始めてすぐ右折すると、やがてわずかに残る遍路道に入る。みかん山の中を縫って走る細い道を700mほど下ると、雑木林に入り、そこから先200mほどの道筋は確認することが困難である。茨(いばら)や灌木(かんぼく)におおわれた雑木林の中を抜けると、農道と合流する地点の檜(ひのき)林の中に道標⑥がある。その道標は、浄瑠璃寺への下り道を案内しているが、二つに折れており、現在は道しるべの役目を果たしていない。『松山の道しるべ』には、国道33号からの古い遍路道は、塩ヶ森から尾根を通り、この道標から左に下って溜池の奥池に通じていたが、今はわずかに道跡らしきものが認められるだけである<16>と記している。この道標⑥から、檜林の中にかすかに残る道を100mほど左に下ると、農道に合流し、ここからさらに800mほど農道を下ると奥池に達する。この池のほとりにガードレールに遮られたため見えにくいが、昭和33年建立の道標が立っている。正面は僧侶像の浮き彫りと塩ケ森への方向を示し、裏面には浄瑠璃寺のご詠歌が添えてある。
奥池から農道を500mほど下ると、下池の下手に小さな小屋があり、その手前で農道を左にそれて細い遍路道(写真2-2-8)に入る。この道は、山すそにU字型のコンクリートで作られた水路に沿って続いており、この細道を250mほど進むと光明寺跡に達する。この寺跡の右側を通り、さらに栗林や竹林の中を200mほど水路に沿って進むと宮田池に達する。この池の下から100mほどの遍路道をまっすぐ北に進むと、浄瑠璃寺境内の南側に至る。
塩ケ森から浄瑠璃寺に至る遍路道は、途中、何箇所か道が途絶えており、最近、この道を歩いて通る遍路はいないという。
写真2-2-7 国道33号沿いの塩ヶ森の道標 道標から右に遍路道を下る。平成13年11月撮影 |
写真2-2-8 奥池から浄瑠璃寺に向かう遍路道 松山市浄瑠璃町。平成13年11月撮影 |