データベース『えひめの記憶』
伊予の遍路道(平成13年度)
第1節 十夜ヶ橋から三坂峠への道<注>
<1>愛媛県教育委員会文化財保護課編『愛媛県歴史の道調査報告書第五集 大洲街道』P32 1997
愛媛新聞社『旧街道』P73~74 1973 などによる。
<2>真念『四国邊路道指南』(伊予史談会編『四国遍路記集』P97 1981)
<3>松浦武四郎『四国遍路道中雑誌』(吉田武三編『松浦武四郎紀行集(中)』P271 1975)
<4>九皋主人写『四国遍礼名所図会』(伊予史談会編『四国遍路記集』P262 1981)
<5>澄禅『四国遍路日記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P41 1981)
<6>山内譲『伊予の地域史を歩く』P142 2000
<7>新井頼助『四国日記』(高知県編『高知県史 民俗資料編』P957 1977)
<8>小林雨峯『四國順禮』P10 1932
<9>古川古松軒著・河野傅解読『四国道之記』P27 1999
<10>大伴享編『大洲随筆(大洲名所図会)』(伊予史談会編『積塵邦語・大洲随筆』P183~185 1984)
富永彦三郎『大洲旧記』(曽我鍛編P259~270 1938)
なお、これらの比較検討については、前出注<6>P196~201が詳しい。
内子町誌編纂会編『新編内子町誌』P945~946 1995
<11>宮尾しげを『画と文 四國遍路』P111 1943
<12>愛媛県生涯学習センター編『四国遍路のあゆみ』P161~162 2001
<13>内子の神社・仏閣編集委員会編『内子の神社・仏閣』P128 1990
<14>前出注<10>P27~28
<15>前出注<9>P9~10
<16>升屋徳兵衛『四國西國順拝記』(井上淳「資料紹介 四国西国順巡記」〔『愛媛県歴史文化博物館研究紀要 第6号』
P138 2001〕)
<17> Aは佐伯藤兵衛『四国辺路中万覚日記』(香川県編『香川県史 資料編 近世史料I 』P870 1988)、Bは前出注<
5>P41~44、Cは玉井元之進『四国中諸日記』(喜代吉榮徳『四国辺路研究 第12号』P26~27 1997)、Dは前出
注<4>P261~266、Eは英仙本明、胎仙頓覚『海南四州紀行』(愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史資料編 学問・
宗教』P775~776 1983)、Fは土佐朝倉村兼太郎『四国中道筋日記』(喜代吉榮徳『四国辺路研究 第11号』P26~
27 1997)、Gは前出注<16>P138~139、Hは前出注<7>P956~957、Iは讃岐国三野郡某『四国順禮道中記録』
(喜代吉榮徳『四国辺路研究 第3号』P4~5 1994)、Jは粟飯原権左衛門『四國順拝諸拍帳』(中山馨解読『天保
十五年四国順拝諸掴帳解読版』P6~7 1996)、Kは中越善平『四国中井高野道中記』(高知県編『高知県史 民俗資
料編』P977 1977)による。
<18>前出注<5>P41
<19>平凡社地方資料センター編『愛媛県の地名』P34 1988
<20>松山市教育委員会編『松山の道しるべ』P79 1999
<21>川崎清規「へんろ道とその標石」(ふるさと久万編集委員会編『ふるさと久万 第38号』P 1998)
<22>前出注<19>P423
久万町誌編集委員会編『久万町誌増補改訂版』P175~176 1989
美川村20年誌編集委員会編『美川村二十年誌』P399~400 1975
<23> 前出注<2>P97~98
<24>前出注<21>P7
<25>愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)』P809 1984
<26>愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史 文学』P217~220 1984
神野昭「久万の歌俳その二 霜夜塚と小倉志山 承前」(ふるさと久万編集委員会編『ふるさと久万 第8号』P61~
66 1973)
<27>梅村武『へんろ道 四三番明石寺より四四番大宝寺(その二)』P30~36 2000
<28>前出注<4>P263
<29>前出注<2>P98
<30>前出注<5>P42
<31>中務茂兵衛著・鶴村松一編著『四国霊場略縁起道中記大成』P39 1979
<32> 賢明『空性法親王四国霊場御巡行記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P10 1981)
前出注<3>P274
<33>四國道人編著「実測四國巡拝道案内」(『四国霊場案内 第二版』P18 1923)
<34>奥平貞虎編『予陽郡郷俚諺集』(伊予史談会編『予陽郡郷俚諺集・伊予古蹟誌』P48 1987)
<35>前出注<2>P98
<36>前出注<5>P42~43
<37>梅村武『へんろ道 四四番大宝寺より四六番浄瑠璃寺』P34~35 2000
<38>聖戒『一遍聖絵』(伊予史談会編『一遍聖絵・遊行月鑑』P8~10 1986)
<39>半井梧菴『愛媛面影』(伊予史談会編 P167~170 1980)
<40>前出注<2>P98
<41>前出注<4>P264~265
<42>前出注<25>P807
<43>前出注<11>P117
<44>安達忠一『同行二人 四國遍路だより』P109 1934
<45>前出注<3>P275
<46>愛媛県教育委員会文化財保護課編『愛媛県歴史の道調査報告書第二集 土佐街道 三坂越え』P26 1995
前出注<6>P38
<47>三好保徳「三坂峠(下)」(『愛媛 第4巻第8号』P5 1964)
<48>前出注<2>P99
<49>前出注<33>P19