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伊予の遍路道(平成13年度)

(2)突合から真弓峠・農祖峠を経て下畑野川へ

 内子町から進んできた遍路道は小田町突合で左右に分かれる。左折すると前述したとおり、下坂場峠、鴇田峠を経て久万町に至る道であった。ここでは 右折して国道380号で小田町の中心部(寺村(てらむら)・町村(まちむら))を通り久万町方面に至る遍路道(真弓峠・農祖峠越えの道及びほうじが峠越えの道)について述べる。
 右折すると、遍路道の左側に山が迫り、右側に小田川が流れる。道をしばらく進むと、水元の入り口近くの道の左側に一間四方のお堂があり、また集落の人家の外れの岩陰には道路整備で集積されたという10基の石造物(写真2-1-12)が並べられている。そのうち丁数の判読のできる舟形石仏丁石が6基、「二百四十丁」から「二百四十五丁」までがある。道はやがて水地に入り、集落を過ぎた山側に地蔵など4基が祀られている。その中に「二百三十二丁」の舟形石仏丁石がある。この辺りの寺村から町村にかけての遍路道は旧国道を進む。国道は観音橋で小田川を渡り川の左岸を走るが、遍路道は観音橋の手前で左折して町家の中を縫う狭い道を進む。小田高等学校の手前で国道を横切り、わずかに残る旧国道を経て登貴姫橋の手前で再び国道を横切って進む。すぐ左側山の上に日切地蔵、少し行くと右側に小田小学校がある。細長く続く町並みを進むと国道と出合う。その交差点の手前左側にコンクリートで被覆された山肌に「□□廿二丁」の舟形石仏丁石が祀られている(写真2-1-13)。
 遍路道は、再び国道を横切って小田川に架かる小田町橋を渡り、寺村から町村の街筋へと進む。すぐに小田町役場前に、道の右側上にはやや離れて堂山大師堂がある。地元の人の話では、この堂には今でも遍路の泊まりがあるという。八坂神社の参道口を少し過ぎると道の右側に「二百十六丁」の舟形石仏丁石、さらに進むとまた右側に「二百十一丁」の丁石がある。船戸にある参川(さんかわ)口のバス停前の右山側には舟形石仏などが多数並べられている。「二百十八丁」「二百十三丁」「二百九丁」「二百七丁」「二百五丁」などのほか判読できないものもある。
 遍路道は、参川ロバス停からさらに50mほど直進してから二つに分岐する。左折する道が、以下に述べる真弓峠・農祖峠越えの道である。直進して小田川をさらにさかのぼる道は、この項で後述するほうじが峠越えの道である。
 左折した道は、小田川に架かる日野川橋を渡り、小田川の支流大平川沿いをさかのぼる。付け替えられた国道380号はこの手前100mほどの所で左折しているが、遍路道はやがて国道と合流して坂道を上る。この間、道徳・日野川・除(よけ)などのバス停を通り過ぎ、バス停大平で三島神社前に至る。この後、国道は大きく蛇行しながら山を上り詰めて行く。以前の遍路道は、神社前を過ぎると谷川沿いの山道に入り、再び国道と出合うとそれを横切り、また山道に入って真弓峠(標高約740m)を越えていた。この道は、今では通る人もまれで正確な道筋の確認は困難である<27>。
 次に旧国道を行く遍路道は、山あいを大きく迂回しながら上り詰めていき、旧真弓隧道(昭和11年完成、標高650m)を出ると狭い道を蛇行するように下ってきてやがて国道に合流する。この間、歩き遍路は迂回する道をつなぐ近道を通ったと考えられるが、その道筋の確認も困難である。現在の国道は大型バスも対向可能な立派な新真弓隧道があって便利になっている。国道に合流した遍路道は父野川(ちちのかわ)沿いに露峰(つゆみね)の父二峰(ふじみね)まで下る。途中馬之地の堂宇前を通り、さらに父野川の集落を抜け二間四方の堂宇を過ぎた辺りで道は分岐する。遍路道は、国道から左にそれて細い道を進む。しばらくして、二名川に架かる父二峰橋を渡って橋詰に至る。橋の右たもとにこの道筋で初めて大宝寺と岩屋寺を指示する道標㊺が立っている。向かい側の庭園の中には道標㊻がある。この2基の道標が示す距離に10丁の違いがあり、道標㊻はもとは農祖峠入り口近くにあったもので現在地に移設されたらしいと地元の人は語る。すぐに遍路道は県道中山久万線(42号)とT字型に交差する。遍路道はこの橋詰で左折し、二名川に沿って県道を1km余りさかのぼると、農祖峠林道の入り口に至る。右折して林道を上り、林道の終わりからは細い山道を上り詰めていくと農祖峠(標高651m)に出る。ここから谷川沿いに馬酔谷(あせぶたに)へ下るが、この問の道は今では通る人もまれで険しい。しかし、馬酔谷の一番奥の人家からは道も広くなる。馬酔谷の途中にある下野尻(しものじり)水源地の下からは左折して狭い生活道を抜けて国道33号に合流し、そこを左折しブロック会社事務所前で右折して進むと狭い四つ辻に至るが、その手前にある道標㊼が菅生山と岩屋寺への分岐路を指示している。菅生山への指示に従って直進すると旧国道(久万本通り)と出合い、左折して進むと福井町で鴇田峠越えの遍路道と合流して、既述した大宝寺に向かう道になる。
 一方、岩屋寺への道を選ぶと、宮ノ前、越(こえ)ノ峠(とう)、中野村を経て槇谷(まきたに)から岩屋寺に向かい、下畑野川を経由して大宝寺に逆打ちし三坂峠へ向かう「打戻りなし」の道になる。
 この打戻りなしの道は、道標㊼の先ですぐに右折し久万本通りを横切って久万川へ向かい、左折して狭い路地を進むとすぐに上野尻(かみのじり)の三差路に至る。ここは久万の町から進んできた土佐街道(以下、旧街道と記す)との合流点であった。その角にある**邸(上野尻甲128)の前に道標㊽がある。そこを右折して旧街道を進むと橋はなく、橋台だけが川に残っている。この辺りから遍路道(旧街道)は寸断されているが、川向こうの宮ノ前で県道落合久万線(153号)と合流して進む。この集落の外れに道標㊾が立っている。ここで遍路道は県道153号を離れ、かすかに残る旧街道を直線的に越ノ峠に向かって山中を進む。峠近くで蛇行してきた県道と合流するが、その手前50mほどの所で、美川村に向かうもうほとんど消滅に近い旧街道と分岐する。その分岐点に立つ道標㊿の指示に従って左の道を進んで県道と合流した遍路道は越ノ峠を中野村の集落へ向かって下る。すぐに再び県道を右にそれ、下りの野道を100m余り行くと道標(51)が立つ。中野村に入ると県道美川松山線(209号)と合流して久万川の支流有枝川左岸を下る。1km余り進んでいくと有枝川に流入する槇谷川に架かる日の出橋に至る。その手前の山側に「左へんろみち」の道標(52)がある。橋の手前で県道209号をそれて左折し、桐谷川沿いに桐谷へと向かい、西之谷橋を渡ってさらに直進すると、左側に地蔵が祀られ、その横に道路改築記念碑と道案内を兼ねた道標(53)がある。そこから槇谷の集落に入ると、道の右側にある槇谷公会堂の前に道標(54)が立っている。さらに奥へ進んで曾鵞(そが)神社を過ぎて60mほど行ったところで遍路道は左折し山道に入り、点在する人家が途絶えた辺りから杉木立の急坂を上り詰めると、八丁坂の頂上(標高712m)に至る。ここが打戻り下畑野川から岩屋寺への遍路道との合流点で、ここから尾根道を岩屋寺に向かう。
 なお、もう一つの遍路道(ほうじが峠越えの道)は、小田町船戸にある参川口のバス停から左折せずに直進する。県道美川小田線(211号)で小田川沿いをさかのぼり、ほうじが峠へ向かって進む。ほうじが峠を越えてからは、美川村を流れる久万川の支流大川川に沿って県道211号を下って国道33号に至る。ここから県道209号で有枝川沿いをさかのぼる。途中、有枝の集落を過ぎて進むとやがて美川村七鳥から久万町上野尻に向かう旧街道と遍路道(県道209号)が交差する。その四つ辻の角に「(手印)左へんろみち」の道標が立っていたという(現在は所在不明)。道をさらに進んでいくと日の出橋に至り、橋を渡った所で前述の槇谷に向かう打戻りなしの遍路道と合流し、右折して岩屋寺に向かう。

写真2-1-12 水元にある石仏丁石の集積地 

写真2-1-12 水元にある石仏丁石の集積地 

平成13年5月撮影

写真2-1-13 交差点にある丁石

写真2-1-13 交差点にある丁石

小田町恩地の交差点。平成13年5月撮影