データベース『えひめの記憶』
伊予の遍路道(平成13年度)
第2節 龍光院から十夜ヶ橋への道<注>
<1>九皋主人写『四国遍礼名所図会』(伊予史談会編『四国遍路記集』P259 1981)
<2>村上節太郎『四国遍路の道標』(愛媛県文化財保存協会編『愛媛の文化 第22号』P158 1983)
<3>松浦武四郎『四國遍路道中雑誌』(吉田武三編『松浦武四郎紀行集(中)』P266 1975)
<4>澄禅『四国遍路日記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P40 1981)
<5>井関又右衛門編『宇和旧記』(愛媛青年処女協会編『宇和旧記 上巻』P184 1928)
<6>前出注<1>P259
<7>前出注<1>P259
<8>真念『四国遍礼功徳記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P225 1981)
<9>前出注<3>P266
<10>小学館編「日本大百科全書2」P508 1985
<11>寂本『四国徧礼霊場記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P188 1981)
<12>富永寅吉編『成妙村誌』1911 三間町中央公民館所蔵
<13>英仙本明・胎仙頓覚『南海四州紀行』(愛媛県『愛媛県史 資料編 学問・宗教』P774 1982)
<14>宮尾しげを『画と文 四國遍路』P102 1943
<15>前出注<2>P159
<16>愛媛県教育委員会文化財保護課編『愛媛県歴史の道調査報告書第六集 宇和島街道』P37 1997
<17>武田明『巡礼の民俗』P62 1969
<18>三間町編『三間町誌』P821 1994
<19>門多正志『宇和歴史探訪記』P112 1987
<20>小林雨峯『四國順禮』P12~13 1932
<21>梅村武『へんろ道 四十一番龍光寺より四十三番明石寺』P58~59 2000
<22>前出注<2>P159
<23>前出注<5>P27
<24>門多正志『宇和町民話集』P70 1971
<25>前出注<19>P84~85
<26>前出注<1>P261
<27>司馬遼太郎『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』(朝日文芸文庫) P88 1985
<28>前出注<24>P28
<29>前出注<24>P36
<30>前出注<5>P53
<31>前出注<1>P261
<32>兵頭丸由写『中川村誌』1911 宇和町立図書館所蔵
<33>半井梧菴『愛媛面影』(伊予史談会編 P202 1980)
<34>前出注<24>P22
<35>前出注<24>P13
<36>前出注<16>P25
<37>前出注<16>P24
<38>前出注<1>P261
<39>前出注<24>P10
<40>前出注<2>P160
<41>前出注<19>P120
<42>前出注<16>P24
<43>真念『四国邊路道指南』(伊予史談会編『四国遍路記集』P97 1981)
<44>県行政資料「道路橋梁取調書」(『河海溝池許可工事』1879)愛媛県立図書館所蔵
<45>前出注<1>P261
<46>大洲市編『大洲市誌 上巻』P491 1996
<47>前出注<16>P20
<48>前出注<43>P97
<49>前出注<46>P319
<50>前出注<46>P319~320
<51>前出注<2>P161
<52>土佐朝倉村兼太郎「四国中道筋日記」(喜代吉榮徳『四国遍路研究第11号』P26 1997)
<53>前出注<20>P11
<54>前出注<1>P262
<55>小西定行「ふるさとの歩みをかえりみて」(『ふるさとの歩み』P2 1982)
<56>岩波書店編『日本古典文学体系71』P117 1965
<57>大本敬久「忘れられた遍路道」(愛媛新聞社『えひめ雑誌4月10日号』P64 2001)
<58>島浪男『札所と名所 四國遍路』P225 1930
<59>高群逸枝『お遍路』P46 1938
<60>梅村武『へんろ道 四十三番明石寺より四十四番大宝寺(その一)』P73 2000