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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業16ー四国中央市②ー(令和元年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 水産業と人々のくらし

 宇摩地方の漁場では小型底引網と刺網の経営体が圧倒的多数を占める(図表3-1-1参照)。漁獲量、漁獲金額をみると、パッチ網漁(瀬戸内海機船船引網漁業)が首位を占めているが、どの漁種とも漁獲量、漁獲金額ともに停滞、もしくは減少している。
 パッチ網漁は昭和5年(1930年)、徳島県の津田(つだ)町の地引網業者が、権現網という袋網二つを有する引網を動力化して操業したのが始まりとされ、もも引、パッチの形に似ている網から名付けられた。全国的には瀬戸内海と伊勢湾が主要漁場となっており、遊泳力の弱いカタクチイワシが漁獲対象となっている。
 宇摩地方のイワシ網が地引網を中心とする寄魚漁法から、積極的な沖取漁法に発展したのは戦後のことである。伊予三島地区を中心とした製紙業の排水が地先海面を汚染し始めて、地先海面へのカタクチイワシの回遊が減少すると地引網は急速に衰退し、代わって昭和26年(1951年)から27年(1952年)にかけてパッチ網漁の導入が相次いだ。パッチ網漁の操業当初は、4月から12月まで半年以上操業していたが、現在は、6月から8月ころを中心に実質40日程度の操業となっており、パッチ網漁だけでは漁家の経営が成り立たなくなっている。パッチ網漁の操業区域は、燧灘の東部海域に限定されており、カタクチイワシの濃密群が形成される香川県の伊吹(いぶき)島を中心に漁場が集中している。この海域は香川、愛媛両県漁民による共同入会漁場であり、ここで漁獲されるカタクチイワシは煮干しに加工されている。
 昭和40年代後半から燧灘の海域の富栄養化により過脂肪イワシが増加すると、イリコの品質が低下し、加工生産は大幅に後退した。特に昭和47年(1972年)から53年(1978年)にかけては、カタクチイワシは宇和島(うわじま)を中心とするハマチ養殖の飼料に向けられたが、その後、燧灘の浄化対策が進むと過脂肪イワシは減少し、加工用が増加した。川之江のパッチ網経営者は、燧灘の浄化に対応して、昭和53年ころから高速艇やフィッシュポンプの導入、あるいは煮炊きから乾燥までほとんど自動化した製造機の設置を心掛け、鮮度を落とすことなく、良質のイリコ加工を行うようになった。
 本節では、昭和20年代からのパッチ網漁やイリコの加工を中心に、この地域の人々のイリコとともにあったくらしについて、Aさん(昭和16年生まれ)、Bさん(昭和18年生まれ)、Cさん(昭和18年生まれ)、Dさん(昭和22年生まれ)、Eさん(昭和54年生まれ)から話を聞いた。

図表3-1-1 四国中央市の漁業

図表3-1-1 四国中央市の漁業

『平成28~29年愛媛農林水産統計年報』から作成