データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業16ー四国中央市②ー(令和元年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 栄町商店街の町並み

 旧川之江市は県の東端部に位置し、北は香川県の旧豊浜(とよはま)町(現香川県観音寺(かんおんじ)市)、東は香川県の旧大野原(おおのはら)町(現香川県観音寺市)、徳島県の旧池田(いけだ)町(現徳島県三好(みよし)市)、南は旧新宮村、旧伊予三島市(いずれも現四国中央市)に接し、西は瀬戸内海の燧灘に臨んでいる。
 明治22年(1889年)、町村制の施行により上分(かみぶん)、金田(かなだ)、川滝(かわたき)、川之江、金生(きんせい)、二名(ふたな)、妻鳥(めんどり)の7か村が成立した。明治31年(1898年)に川之江、大正2年(1913年)に上分、昭和23年(1948年)に金生にそれぞれ町制が施行され、昭和29年(1954年)3月には川之江町と二名村が合併して川之江町となり、同年11月、3町3村が合併して川之江市となった。
 旧川之江町の発展は、寛永13年(1636年)に一柳直家が、父直盛の遺領のうち、宇摩郡、周布郡(現西条(さいじょう)市)と播磨国加東郡(現兵庫県)の約28,000石余に封ぜられ、翌年に入部し、川之江に陣屋を構えたことに始まる。まもなく直家が跡継ぎなく亡くなったため天領となり、陣屋跡に代官所が置かれた。陣屋町として城山東麓の金生川(昭和22年〔1947年〕に完成した付け替え工事で埋め立てられた。現国道11号。)沿いの古町や新町、さらに金毘羅街道(現国道11号)沿いの農人町などに商店が立ち並び、旧市街地が形成されていった。大正5年(1916年)、予讃線観音寺駅-川之江駅間の開業をきっかけとして、旧市街地と川之江駅を結ぶ駅通り、さらに駅通り南側の栄町に商店街が形成され、中心商店街となっていった。
 本節では、昭和40年(1965年)ころの栄町商店街の様子や人々のくらしについて、Aさん(昭和16年生まれ)、Bさん(昭和36年生まれ)から話を聞いた。