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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業15-四国中央市①-(平成30年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

2 新宮鉱山②

(3)現在の新宮鉱山の様子
 
 新宮鉱山は、昭和53年(1978年)に坑口密閉などの鉱害防止措置を取って閉山したが、鉱山の施設はそのまま残された状態になっている。Eさん、Fさんともに、「保安面で大丈夫であれば、見学用にいくつか坑道を残しておけば良かった。第1斜坑であれば途中に断層があるが、補強すれば可能であったと思う。しかし、そのころには多くの人がそういうことに興味がなかったのだと思う。今思えば、第1斜坑入り口くらいまででも残しておけばよかった。」と語った。
 新宮鉱山は、高知自動車道新宮ICを降りて、県道5号線を約1.5km北上した新宮町新宮と新宮町新瀬川(しんせがわ)の境界辺りから西の脇道に入って、金山(きんざん)橋という馬立川に架かる小さな橋を渡って進んだ先にある。九十九折(つづらおり)の細い道を進むと途中で舗装路が未舗装になり、金山橋より約800m進んだ所で道沿いの東側に鉱山事務所だった建物(図表2-3-9の①)、その向かい側に貯鉱庫とそれに併設されていた沈殿槽(シックナー、排水処理施設)(図表2-3-9の②)が見えてくる。鉱山事務所跡を過ぎて最初のヘアピンカーブの所に電気制御室(図表2-3-9の③)だった建物がある。そこからさらに約400m進み、2か所目のヘアピンカーブの所で大きく開けた場所に出る。ここが、新宮鉱山の通洞抗前に広がっていた広場跡で、現在は掘り出された岩石がうず高く積まれてズリ山となっており、その山の上が平らに均(なら)されて広く開けた様子になっている(図表2-3-9の④)。ちなみにここまでは普通車でも入ることができた。ズリ山の南端に社殿のない神社があり、そこからズリ山の縁に沿って西方向に進んでから北上していくと大きな貯水升(図表2-3-9の⑤)や通洞坑の坑口跡(図表2-3-9の⑥)を見ることができ、坑口にはトロッコのレールが残されている。道に戻り、さらに約100m進むと西側の山肌に火薬庫跡(図表2-3-9の⑦)が見られる。火薬庫だけに厳重だったらしく入り口付近には電子ロックが施された扉が倒れていて、入り口のコンクリートの厚さは1mくらいあった。

図表2-3-9 新宮鉱山跡の現在の様子

図表2-3-9 新宮鉱山跡の現在の様子

平成30年12月の現地調査を基に作図。