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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業15-四国中央市①-(平成30年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

1 赤石鉱山②

 (4) 赤石鉱山跡探訪記

 本節をまとめるに当たり、赤石鉱山跡を実際に訪ねた。今から20年ほど前は、鉱山が操業していた当時に整備された大きな林道を利用して登山口まで普通車で入ることができたが、近年は台風などの災害のほか、様々な理由で林道が荒れ果て、アプローチが大変難しくなっている。ここでは、筆者と同行者の2人で赤石鉱山跡を訪れた際、同行者が記録した往復約11時間の顛末(てんまつ)を紹介する。
 「平成30年(2018年)10月30日(火)の午前4時30分に伊予鉄道の余戸駅に集合し、車で松山を出発。松山ICから高速道路に乗り、5時40分に新居浜ICで降り、まだ暗いので、コンビニの駐車場で夜明けを待つ。空が少し明るくなってきたので出発し、国道11号の船木(ふなき)の坂を越えて旧土居町に入ってすぐの国道沿いに立つ『東赤石山登山口』という水色の大きな看板を目指す。ここを右折して高速道路の下をくぐり、山がある南の方向へ向かって細い道を走って行く。最後の集落を過ぎて五良津林道に入る。かなり路面が荒れた林道を、車の底を擦(こす)りながらゆっくりと進むこと約500m、路面の状態がひどくなってこれ以上は車で進むことは困難となり、ここに車を置くことにする。駐車した地点の標高は 300m前後で、目的地の鉱山跡は標高が1,400m近くあると思われるので先が思いやられる。身支度を整えて、6時45分に駐車地点から林道を2人で歩き出した(写真2-3-5参照)。
 7時5分に林道沿いの中之島(なかのしま)公園跡地を通過。中之島公園跡地から300mほど進むと、土地所有者が進入禁止の立札を設置して、大きなコンクリートブロックを置いて林道を塞ぎ、自動車ではこれ以上進めなくなっている。ブロックの横を抜けて林道を進む。7時35分に住友林業の作業小屋がある河又を通過。ここで、林道は左に大きく曲がる。河又までですでに1時間近く林道を歩いているが、まだまだ先は長い。2時間以上林道を歩き続け、標高もかなり上がってきたころに、沢を渡るコンクリートの橋が何度か現れ、そのうちの1か所は増水時に流されてきた倒木が橋の上に覆い被(かぶ)さっていて橋を渡ることができない。橋を塞ぐ木の枝を鉈(なた)、のこぎりで切り払って通る。その後もひたすら林道を歩き、出発から約3時間、9時35分に地図上の登山口に到着。標高は800mほどである。気温は12℃で、じっとしていてもさほど寒さは感じられない。10分ほど休憩をしてから山道に入る。やっとここからが登山の本番である。傾斜がものすごく急な坂というわけではなく、登山道としては普通の傾斜という感じである。ただ、通る人が少ないためか、所々にノイバラの枝が道まで伸びており、トゲが引っかかって歩きにくい。持参した剪定(せんてい)バサミでノイバラの枝を切りながら進む。10時10分ころ、シロモジの黄葉が美しい場所があったので、ここで早い昼食をとる。10時30分から再び登り始め、標高1,100m付近の森の中でシカ(♂1)に遭遇するもシカは驚いて走って逃げて行った。シカはしばらくその付近で休息していたらしく、シカのいた場所を通ると非常に獣臭(くさ)かった。
 ここから上の登山道には、急斜面に沿って進む箇所に何箇所か木の桟道(さんどう)が架けられているが、老朽化している上に苔(こけ)むしていて、危なくてとても通れたものではない(写真2-3-6参照)。山側の斜面にへばりついて桟道を踏まないようにして通過する。11時45分に 氷穴(こおりあな)入口(標高1,200m付近) を通過。先を急ぐので氷穴自体を見に行くのはあきらめて先へ進む。12時に『頂上まで50分』の標識に到着(写真2-3-7参照)。標識の指し示す東赤石山頂上へは右折して登っていくのだが、曲がらずに直進する道(踏み跡)もあり、そろそろ標高1,300m前後なので標高的には この付近が赤石鉱山跡と思われ、右折せずに直進して様子をうかがってみる。50mから60mほど進んでみたが、錆(さ)びたワイヤーの残骸が落ちているくらいで、建物の残骸らしきものもないし道も不明瞭になってきたので、一旦標識まで戻り、さらに上へ登ってみる。10分ほど登り、12時17分に『小さい祠(ほこら)』に到着し、周囲に鉱山跡へ入って行けるような道がないか探すが、それらしい痕跡は見当たらない。インターネットの資料を改めてよくよく読み直してみると、鉱山跡へは『頂上まで50分』の標識から入っていくと書かれているではないか。『小さい祠』が鉱山跡への入口と信じ込んでいたための間違いだった。やはり、先ほどの直進する道(踏み跡)が鉱山跡への入り口だったのだ。慌てて『頂上まで50分』の標識まで戻り、改めて先へ進んでみる。道が不明瞭になってきた辺りから斜面を下っていくと、建物があったらしき敷地と石積みが現れ、さらにその下の段を覗(のぞ)くと樹間から建物の壁とおぼしきものが残っているのが見えた。壁がある所まで斜面を下ると、屋根も床もなくなり、石積みの壁だけが残っているのは、どうやら事務所の建物の跡らしい。敷地に踏み込むと、屋根のトタン板の残骸がバリバリと音を立てる。底のぶ厚い登山靴だから踏み込めるが普通の靴では入っていくのは難しいと思われる。
 事務所跡の周囲を捜しても、これ以上の鉱山の痕跡は見つからない。しかし、ネットの資料には、坑口の跡やトラックの残骸の写真が載っているので、どこかにそれらが残っているはずである。事務所跡からさらに50mほど雑木をかき分けて北向きの斜面を下ると、宿舎らしき建物の跡地があった(写真2-3-8参照)。こちらは木造だったらしく、屋根は落ち、壁も柱も何も原形を留(とど)めていないが、機械の部品のようなものや黄色いヘルメットが転がっている。しかし、ここにも坑口やトラックは見当たらない。道らしきものもないが、意を決してさらに東へ進むことにするが、だんだん藪(やぶ)がひどくなってくる。ノイバラのつるを剪定バサミで切りながら進むと、木々の間に高さが7mから8mはあろうかという木製の支柱が立っているのが見えた。どうやら鉱石を下ろすための索道の支柱らしい(写真2-3-9参照)。この柱が良く見える所までさらに進むと下の斜面に建物の残骸が見えた。下りてみると、ここも壁も柱もなく、屋根の残骸の上をバリバリと音を立てながら歩くと、小さな重機が置かれ、変圧器らしきものの残骸などが転がっている。その奥に捜していたトラックが見つかり、その横に坑口も見つかった。坑口のトンネルの中から細い鉄のパイプが伸びていて、そこから水が流れ出ている。坑口やトラックなどの写真を撮り、目的としていたものの写真が一通り撮れたので引き返すことにする。『頂上まで50分』の標識まで戻ると、すでに13時50分になっている。鉱山跡の一帯に1時間20分もとどまっていたことになる。気温は7℃で少し肌寒い。秋は日暮れが早いので、急いで下山しなければならない。山道を懸命に下り、15時17分に登山口に到着し林道に出た。10分ほど休憩して、以後、ひたすら林道を下る。17時ちょうどに 河又の作業小屋を通過、17時30分に中之島公園跡を通過。このころには既に周囲が暗くなり、ザックからヘッドランプを出す。17時43分にやっと駐車地点に着いた。朝に歩き始めてから11時間が経過している。車を置いた地点は林の中だったので、ライトがないと真っ暗で何も見えない状況である。ヘッドランプの明かりを頼りに登山靴を脱ぎ、荷物を片付けて車に積み込んで帰途に就いた。」

写真2-3-5 現在の五良津林道の様子

写真2-3-5 現在の五良津林道の様子

平成30年10月撮影

写真2-3-6 登山道にかけられた木の桟道

写真2-3-6 登山道にかけられた木の桟道

平成30年10月撮影

写真2-3-7 赤石鉱山跡への目印「頂上まで50分」標識

写真2-3-7 赤石鉱山跡への目印「頂上まで50分」標識

平成30年10月撮影

写真2-3-8 赤石鉱山跡に残された宿舎の残骸

写真2-3-8 赤石鉱山跡に残された宿舎の残骸

平成30年10月撮影

写真2-3-9 赤石鉱山跡に残された索道の支柱

写真2-3-9 赤石鉱山跡に残された索道の支柱

平成30年10月撮影