データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業13-西予市①-(平成29年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 渡海船の記憶

 旧三瓶町における海運の歴史は古く、浦々を結ぶ道路が整備されていない明治中期までは、物資を大量に輸送するには船を使うしか方法がなかった。
 三瓶を経由する沿岸航路では、明治後期になると門司丸や三島丸が就航し、さらに明治44年(1911年)には鋼船の第二鶴島丸が八幡浜-宇和島間を結び、三瓶町内の皆江(みなえ)、蔵貫(くらぬき)、安土(あづち)、朝立(あさだつ)、垣生(はぶ)、二及(にぎゅう)、周木(しゅうき)に寄港した(大正9年〔1920年〕には下泊〔しもどまり〕にも寄港)。また、大正から昭和初期にかけて、第一三島丸や第一三瓶丸、青木運輸のいろは丸が八幡浜-三瓶間に就航したことにより、航路の充実が図られ、昭和16年(1941年)には、宇和島運輸の大阪四国線や門司宇和島線、盛運社の八幡浜沿岸線、青木運輸の八幡浜-三瓶航路の便が三瓶に寄港している。
 戦後になって、道路の部分的改修工事が行われていくと、沿岸航路と同じルートを辿(たど)るようにバス路線の延長が進んだ。昭和26年(1951年)には八幡浜-(穴井〔あない〕経由)-三瓶線が、その8年後の昭和34年(1959年)には、三瓶-宇和島の路線が開通したことで、船便よりも短い時間で沿岸の各浦々が結ばれるようになり、昭和38年(1963年)に沿岸航路を走る船は姿を消した。
 本節では、船や海とともにあった仕事やそのくらしについて、増川米子さん(昭和24年生まれ)、久保田幸一さん(昭和20年生まれ)、小野正昭さん(昭和20年生まれ)から話を聞いた。