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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業13-西予市①-(平成29年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 宇和盆地の産業と人々のくらし

 旧宇和町は周囲を400~800mの肱(ひじ)川系山地に囲まれた標高約200m前後の高原盆地であり、豊かな自然環境を生かした農林業が基幹産業となってきた。宇和米の産地として知られ県下でも有数の穀倉地帯である宇和町では、基盤整備事業により大区画圃場(ほじょう)整備が完了しており、大型の高性能機械の導入による生産性の高い農作業や生産コストの省力化を図った効率的な農業経営が展開されている。山際の傾斜地に多く見られる樹園地では、クリや茶、ブドウなどが栽培され、花きなどの施設園芸に取り組む農家もある。畜産部門は長年大きな比重を占めてきたが、酪農については、昭和30年(1955年)ころから食生活の変化と畜産振興の農政により、次第に乳牛の飼育頭数が増加した。飼養形態については、旧野村町、旧城川町では家族経営形態が中心であるのに対し、旧宇和町では企業経営形態が中心となっており、昭和40年代に法人化された小野田牧場は、県下における大規模法人経営の先駆的役割を果たしている。
 工業に目を向けると、旧宇和町では第一次産品を利用した製材、食料品加工や、農村の労働力に立地した縫製、電機を中心とする中小農村工業が主体であった。なかでも縫製業は昭和34年(1959年)に町内で最初の縫製工場が設立されると、昭和40年代には大阪その他の県外資本や八幡浜など県内他地域から農村の女性労働力を求めて多数の縫製工場が進出し、国道56号、県道沿いを中心に町内各地に散在した。『宇和町誌』によると、昭和49年(1974年)末には町内に27もの縫製工場があり、これらの縫製工場は、従業員1名から4名の下請工場や家庭内職者を多数抱えて地域に密着しながら発展したが、近年は中国をはじめとするアジア諸国からの輸入製品の増加などもあって衰退している。
 本節では、小野田牧場における酪農についてAさん(昭和11年生まれ)から、縫製工場での仕事にまつわる思い出についてBさん(昭和23年生まれ)、Cさん(昭和27年生まれ)からそれぞれ話を聞いた。