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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業12-松前町ー(平成29年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 本村の町並み

 浜地区は松前町の西部に位置し、西は伊予灘に面して松前港があり、古くから松前海岸及び港周辺の漁家を中心とした地域であった(図表1-1-2参照)。文禄の役に勲功のあった加藤嘉明が伊予国6万石を得て、文禄4年(1595年)に正木(まさき)(松前)に入城後、松前は城下町として栄えた。しかし、嘉明が慶長8年(1603年)に新城地松山へ移転してからは、漁村として存立し、その中心であった松前浦は現在の浜地区とされる。松前漁民は、加藤氏から領内分での漁業操業勝手の特権を与えられ、領主が替わっても引き継がれたという。また、日々陸揚げされる鮮魚は松前の女性たちの松山方面への行商によって消化された。彼女たちは御用櫃(ごろびつ)と呼ぶ桶(おけ)に鮮魚類を入れ、頭の上に載せて運搬し「おたた」と呼ばれた。松山築城の際に松前のおたたが労役に従事したので、松山領内での自由行商と営業税免除の特権を与えられたとの伝承はよく知られている。このおたたの近接地行商に始まって県外への遠隔地行商に至る松前の行商の従事者の多くは浜地区から出ている。農地が少なく人口の多かった浜地区では、生計維持のため漁業からの収穫物を行商に出向いて販売したり、陶磁器や缶詰の行商などを通じて販路の拡大を図り、県外へ進出したりしていった。
 江戸時代の寛文11年(1671年)、当時の松前村から寺町(てらまち)村、筒井(つつい)村、古泉(こいずみ)村とともに分村して浜村が成立した。近代に入ってからは、数回の行政区画の変遷に伴う管轄区域の変更を経て明治22年(1889年)に施行された町村制により、北黒田(きたくろだ)村、南黒田村、筒井村、浜村が合併して松前村が成立し、浜村は松前村の大字となった。さらに大正11年(1922年)、町制が施行されて松前村は松前町となり、昭和28年(1953年)の町村合併促進法の施行を受けて、同30年(1955年)に松前町、岡田村、北伊予村が合併し、現在の松前町が誕生した。浜地区には松前村役場、大正11年からは松前町役場が設置され、昭和11年(1936年)に筒井地区へ移転するまでは松前町における行政の中心的な位置を占めた。
 商店街については、『松前町誌』によると、昭和11年の東洋絹織株式会社(現東レ株式会社。以下、東レと記す。)誘致をきっかけに工事関係者の出入りが多くなり、工場から浜交差点を結ぶL字路を中心に商店が増え始め、同13年(1938年)、愛媛工場の操業開始で社員が増加したことなどにより、本村、新立の商店街は活況を呈し著しく発展した。しかし、いずれの商店街にも駐車場がほとんどなかったため、モータリゼーションの進展に伴い衰退を始めた。特に、商店街の東側に旧国道56号(現県道326号松山松前伊予線)が開通すると、駐車場を備えた大手スーパーマーケットが進出し、購買客が大幅に流出した。一部の店舗は旧国道56号沿いに移転した一方で、多くの店舗はそのまま営業を続けたが、現在は店主の高齢化や後継者不足などの理由からその多くが閉鎖しており、かつてのようなにぎわいは見られない。その後、国道56号の現在の位置への付け替えによって、商業の集積地はさらに東側へ移動し、近年は平成20年(2008年)に開店した四国最大級の大型ショッピングセンターを中心に、数多くの郊外型大型店舗が国道56号沿いに進出している。
 本節では、戦前・戦後から昭和40年代を中心とする本村の町並みとくらしについて、藤野光央さん(昭和10年生まれ)、藤野美智子さん(昭和15年生まれ)から話を聞いた。


図表1-1-2 昭和40年代の浜地区周辺

図表1-1-2 昭和40年代の浜地区周辺

昭和46年国土地理院発行の2万5千分の1地形図「郡中」による