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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業10-西条市-(平成28年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 山間部の農林業と人々のくらし

 西条(さいじょう)市加茂(かも)地区(旧新居(にい)郡加茂村)は市の南東部に位置し、周囲を1,100m~1,700m級の山に囲まれた山間地域である。石鎚山を源流とする加茂川の支流谷川が地域の中央を流れ、谷間を縫うようにして国道194 号が走り高知県いの町へとつながっている。
 明治22年(1889年)の市制町村制の施行により荒川山(あらかわやま)・藤之石山(ふじのいしやま)・千町山(せんじょうやま)の3か村が合併して成立した加茂村は、昭和31年(1956年)に大保木(おおふき)村とともに西条市と合併し現在に至っている。
 加茂地区には元禄年間から操業したといわれる新居鉱山などいくつかの銅鉱山が存在した。そのうち基安(もとやす)鉱山は、最盛期である昭和31年には月産2,500t超の銅鉱石を産出し、昭和47年(1972年)の閉山まで基安には100人以上が居住する鉱山集落があった。
 加茂川流域の森林が林業地域として開発されるようになったのは、西条藩が山林の保護・育成に乗り出してからである。明治中期には愛媛県の代表的な林業地域に成長して「加茂川林業」と呼称されるようになったが、加茂地区はその中心地であり、明治38年(1905年)には流域の用材生産は県内の3分の1を占め、特に屋根葺(ふ)き用のスギ皮や檜皮(ひわだ)は県内最大の産地であった。昭和5年(1930年)に神戸(かんべ)村船形(ふながた)(現西条市、舟形と表記)から加茂村川来須(かわぐるす)(現西条市)まで総延長15.756kmに及ぶ森林軌道が竣工すると、それまでの流材から陸上輸送に切り替えられ、後に軌道が撤去された跡地は国道194号となり幹線交通路となっている。高度経済成長期に入ると、過疎化が進行して林業労働者不足となり、西条市森林組合が昭和50年(1975年)から森林施業団地共同化事業に取り組み地域林業の振興を図ったが、現在においても林業は後継者難・コスト高・外材輸入の増加等の問題を抱えている。また、加茂地区の藤之石で昭和30年代から盛んに行われていた高冷地野菜の栽培も、林業と同様に高齢化の進行と後継者不足のために衰退を余儀なくされている。
 本節では、加茂地区の農林業を中心とする人々のくらしについて、Aさん(昭和14年生まれ)と長男のBさん(昭和35年生まれ)、Cさん(昭和21年生まれ)から話を聞いた。