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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業10-西条市-(平成28年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第4節 小松商店街の町並み

 旧小松(こまつ)町(現西条(さいじょう)市小松町)は四国の最高峰石鎚山(1,982m)を南に仰ぎ、燧灘(ひうちなだ)を北に見下ろす道前平野の中心部に位置し、自然と文化、交通の利便に恵まれた都市近郊農村型の町である。東は旧西条市、北は旧東予(とうよ)市、西は旧丹原(たんばら)町、南は石鎚山を境として上浮穴(かみうけな)郡面河(おもご)村(現上浮穴郡久万高原〔くまこうげん〕町)に隣接している(図表1-4-1参照)。町域の大部分は石鎚山の西北斜面を形成する山間部で占められ、町の北端を東北に流れる中山(なかやま)川の南側に細長い山麓平野があり、そこに市街地が形成されている。
 小松藩・小松陣屋などと使用される「小松」の名は、寛永13年(1636年)、初代藩主一柳直頼(ひとつやなぎなおより)が一万石の大名として周布(しゅう)郡11か村と新居(にい)郡4か村を領有して立藩し、古くは塚村千軒と呼ばれた新屋敷(しんやしき)村に陣屋と城下町を建設した際、周囲に小松が群生していたことから当地を「小松」と改称し、藩名も「小松藩」と称したことに始まる。藩の成立当初は、東に長兄の西条藩と次兄の川之江(かわのえ)藩が並ぶ兄弟藩であった。しかし、西条・川之江両藩の一柳家はそののち除封され、小松藩のみが明治4年(1871年)の廃藩置県まで、初代藩主直頼から8代藩主頼紹(よりつぐ)まで、比較的穏やかな統治が変わることなく続いた。特に、飢饉(ききん)等の際の適切な対応(享保の飢饉の際には餓死者を出さなかった)や藩校を設置して教育を重視する(朱子学者近藤篤山を招聘(しょうへい))など、その善政は現在に至るまで語り伝えられている。その後、明治22年(1889年)の町村制施行に伴い南川(みなみがわ)、北川(きたがわ)、新屋敷の3か村が合併して小松村、明治31年(1898年)に町制を施行して小松町となった。さらに昭和30年(1955年)に小松町、石根(いわね)村、石鎚村(昭和26年〔1951年〕までは千足山(せんぞくやま)村という村名であった)が合併してその領域を広げたが、平成16年(2004年)の西条市、東予市、丹原町との新設合併により西条市小松町となり、自治体としての歴史を閉じた。
 小松の町は小松藩により計画的につくられたもので、「陣屋」と呼ばれる藩主の御殿と政務所を兼ねた6,300坪の居館を中心に、陣屋を取り囲む形で上級家臣から中級下級家臣団の屋敷が配置されていた。「町人町」は武家屋敷のすぐ北側に東西に長い町筋を設け、この金毘羅街道と呼ばれる往還の通りに沿ってさまざまな商店が軒を連ね、小松でくらす人々だけでなく、小松藩に属し経済圏を同じくしていた旧千足山村の人々も頻繁に訪れ、賑(にぎ)わいをみせていた。明治初期の町の様子について、「明治11年(1878年)の『新屋敷村地誌』によれば、戸数、七八六戸、人口、三二七三人とある。戸数内訳、商業、二八〇戸、農業二五〇戸、雑業二三六戸、社寺二十となっている(①)。」と『小松町誌』に記載されている。
 こうした状況にさらに拍車をかけたのが、宗教的な目的で小松を訪れた人々の存在である。石鎚山の「お山開き」などの際に石鎚参拝に訪れる石鎚講の人々、四国八十八か所霊場六十番から六十四番までの札所(順に横峰寺、香園寺、宝寿寺、吉祥寺、前神寺)を巡る四国遍路の人々、子安大師(こやすだいし)で知られる香園寺を参拝する子安講の人々などが小松を訪れた。このころの小松の様子について、高井幸太郎氏は、『小松史談第112号』に寄稿した「小松市街の交通状況」の中で次のように述べている。「漁船で新兵衛(しんべえ)(現西条市氷見(ひみ)北新開(しんかい)付近)に着いた多くの白衣(石鎚講の人々)は、皆小松に向(むか)って此の道(中町の遍路道標から南に伸びる岡村へ続く道)を登った。鉄道開通後は、一勢に小松駅に下車した。駅前の店や、宿や、飲食店は大変な賑わいであった。駅前通も白衣でうまった。又香園寺の子安講が御発光で、全国から団体で小松駅に下車して、市街を通った。春が来ると四国遍路は、横峰寺、香園寺、途中清楽寺、宝寿寺へと徒歩で廻った(②)」。このように、小松は多くの人々が集まる町であり、そして目的地へ向かう起点でもあった。
 本節では、藩政時代から昭和40年代ころまでの小松の町並みの変遷と人々のくらし及び旧千足山村との関わりについて、地域に関わる方々から話を聞いた。なお、小松公民館の職員が、平成20年(2008年)にAさんから行った聞き取り調査の内容も掲載させていただいた。

聞き取り調査協力者
 Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさん、Gさん、Hさん、Ⅰさん、Jさん、Kさん、Lさん、Mさん

図表1-4-1 小松町の位置

図表1-4-1 小松町の位置

『平成26年度版愛媛県市町要覧』巻末地図から作成。