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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業10-西条市-(平成28年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第3節 丹原商店街の町並み

 旧周桑(しゅうそう)郡丹原(たんばら)町(現西条(さいじょう)市)は、西条市の南西部に位置し、北は今治(いまばり)市、西は東温(とうおん)市、南は山地をもって上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町と接する。北部は標高10mから200mの比較的平坦な地形で、東西に流れる中山(なかやま)川に沿った平地部は、県下屈指の農業地帯となっている。
 周桑平野のほぼ中心に位置する丹原の街村は、松山(まつやま)藩の在町(ざいまち)に起源する。正保元年(1644年)、松山藩は今井(いまい)・池田(いけだ)・願連寺(がんれんじ)の原野を開発して物産集散地とし、裏通りに松並木を植えたことから「松の町」とも呼ばれた。
 明治22年(1889年)の市制町村制により、桑村(くわむら)郡徳田(とくだ)村、周布(しゅう)郡福岡(ふくおか)村・田野(たの)村・中川(なかがわ)村・桜樹(さくらぎ)村が成立し、同30年(1897年)、桑村郡と周布郡が合併して周桑郡が成立した。大正2年(1913年)、福岡村は町制施行により丹原町と改称し、昭和30年(1955年)丹原町は徳田村を合併、中川村と桜樹村が合併して中川村が成立した。同31年(1956年)、丹原町は田野村と中川村を合併し、同時に中川村の滑川(なめがわ)と明河(みょうが)の海上(かいしょう)・九騎(くき)を温泉(おんせん)郡川内(かわうち)町(現東温市)に編制替えした。その後、平成16年(2004年)に西条市・東予(とうよ)市・小松(こまつ)町と合併するまで行政区画の変更はなく、丹原町として存続したが、丹原代官所や周桑郡役所が置かれて以来、丹原は周桑郡関係の官公庁が集まる中心的地域であった。近年は、平成11年(1999年)に今治・小松自動車道の東予丹原インターチェンジ~いよ小松ジャンクション間が開通、同13年(2001年)には東予丹原インターチェンジ~今治湯ノ浦インターチェンジ間が開通し、東予丹原インターチェンジができたことで、周布(旧東予市)から願連寺(旧丹原町)辺りの県道48号壬生川(にゅうがわ)丹原線沿線では大型商業施設等が多く出店している。
 昭和30、40年代を中心とする丹原のすがたとくらしについて、Aさん(昭和4年生まれ)、Bさん(昭和13年生まれ)、Cさん(昭和14年生まれ)、Dさん(昭和19年生まれ)、Eさん(昭和20年生まれ)、Fさん(昭和21年生まれ)、Gさん(昭和21年生まれ)、Hさん(昭和22年生まれ)から話を聞いた。