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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

4 中務茂兵衛-四国遍路280回-

 四国霊場を280回(①)も巡拝し、人々に生き仏として慕われた遍路人(②)に中務茂兵衛(1845年~1922年) (本名中司亀吉)がいる。歩きを中心とした遍路で、100回以上巡拝した遍路人は数人いるが、200回を超えての四国遍路に身を捧(ささ)げた者は未だ彼をおいてほかにはいない。その茂兵衛の全貌(ぜんぼう)を世の人に知らしめたのは、鶴村松一氏が最初であろう(③)。茂兵衛は280回の巡拝行とともに、237基の道標石を残しているという(④)。その道標石について研究を進めた人に、愛媛県内では、かつて村上節太郎氏や鶴村松一氏がおり、現在研究を進めている人に梅村武氏や喜代吉榮徳氏がいる。喜代吉氏は、道標石を中心にして、茂兵衛の諸日記、金札を始めとする持ち物、あるいは彼の定宿など、多面的調査に取り組んでいる。ここではこうした人たちの研究成果を中心にして茂兵衛の生涯や業績を整理してみたい。