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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

2 木食仏海-三千仏彫像と土中入定-

 木食(もくじき)仏海については、鶴村松一氏(①)や喜代吉榮徳氏(②)が共に仏海上人伝を著している。両氏とも、仏海41歳のとき、寛応によって書かれたという、仏海の半生の記録『遍照庵中興木食佛海叟傅』を解読することから始めて、その事跡や生涯について研究を進めている。両氏の研究から、仏海の生涯を要約すると次のようになる。
 仏海は幼くして既に出塵(しゅつじん)(俗世間を捨てて仏道などの悟りを求める)の志をもっていたという。修行の旅に出、26歳で木食(五穀や塩を絶つ)行に入り、39歳には日本国中廻国修行を成就している。その間に三千体の地蔵尊像を彫り残した。40歳のときに故郷猿川村(現北条市猿川)に帰り、遍照庵(現木食庵)の復興、風早西国三十三所観音霊場の開設などを成し遂げた後、四国遍路に専念し、21度の巡拝を成就している。その間に遍路のために地蔵道標や土佐佐喜浜入木(いるぎ)(「ゆるぎ」とも言う)に接待庵(現仏海庵)を建て、明和6年(1769年)、自ら造立した宝筐(ほうきょう)印塔の下に、即身成仏を期して土中入定(どちゅうにゅうじょう)(生きながら土中に入り死に赴く)を果たした人である。享年60歳であった。