データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

四国遍路のあゆみ(平成12年度)

(2)遍路道について②

 (イ)モータリゼーションの発達と遍路道

 モータリゼーションに代表される自動車の発達は、遍路の巡拝形態の変化を生んだばかりでなく、遍路道そのものを消失させていった。歩くための道であった遍路道の大部分が、車のための道路に作り変えられたのである。今日、旧遍路道の大部分は国道や主要地方道といった四国の産業交通の重要な動脈となり、アスファルトの下に埋もれてしまった。
 戦後以降の四国遍路道関連年表によると、モータリゼーションの進展に対処するため、主として道路整備などの自動車対策が始まった。昭和27年(1952年)の新道路法制定や同29年の道路整備5ヵ年計画などは、自動車道及び歩道の整備に大きく寄与した。同40年ころからは自転車道及び歩道の整備も徐々に進められてきている。同43年の自然歩道整備計画構想や同52年の第三次全国総合開発計画などは「四国のみち」と密接に関連する。

 (ウ)モータリゼーション時代の遍路道の課題

 モータリゼーション時代の遍路道の課題について、「早大道研」は次のように述べている。

   現代の舗装された遍路道は、まず第一に「自動車道路の整備」という行政課題に対して、バスやマイカーを使った遍路を
  可能にし、本来は歩くものとしての遍路の意味を「自動車遍路」と「歩く遍路」とに分化させた。四国の道の8割が自動車
  との共存によって成り立っており、昔ながらの「歩く遍路」を押しのけるように通行する「自動車遍路」は、遍路の意味の
  分断ないし対象性を際立たせる。第二に「歩く道の復権」というもう一つの行政課題に対応して、遍路道が「自然歩道・四
  国のみち」として再整備され、歩く遍路の中に従来の「信仰としての遍路」や「物見遊山としての遍路」の他に「現代のレ
  クリエーションとしての遍路」や「歴史や文化としての遍路道との触れ合い」といったさまざまな意味が生成されつつある
  (⑥)。

 また、かつての遍路のイメージとして、歩き遍路=貧困の図式は今や通用せず、先述の「早大道研」は、「貧しい『歩く遍路』と裕福な『自動車遍路』から、贅沢(ぜいたく)に時間と費用を使える『歩く遍路』と時間も費用も乏しい『自動車遍路』へという価値の逆転が起こることも事実であろう。しかしそれでも、一方での『歩く』という体験の共通性と他方での車による移動体験の共通旨との間の意味の分断は、そう簡単に解消されることなく、車社会が続く限り今後も基本的に再生産されていくに違いない。(⑦)」と述べている。

 イ 遍路道と「四国のみち」とのかかわり

 「四国のみち」整備計画の目的は、「四国の優れた景勝地や歴史的・文化的遺産を徒歩や自転車で利用できるよう有機的にむすび、近年のモータリゼーション化に伴って失われていく遍路道など、古くからの道の保存を図りつつ、レクリエーションの『みち』として整備し、地域住民の健康で健全な精神の育成を図ることを目的とするものである。(⑧)」とされている。
 「四国のみち」整備計画の発端は、昭和47年(1972年)に四国四県知事会議で、愛媛県から四国八十八ヶ所を中心とした新しい観光ルートの開発を提案したことに始まる。同52年に閣議決定された「第三次全国総合開発計画」の自然環境保全に関する計画課題を受け、環境庁だけでなく建設省計画局・四国地方建設局も加わって、国土庁総合開発調査費を申請して、合同調査を実施することから開始された。翌53年に、二つの省庁に独自の「四国のみち保全整備計画調査委員会」をつくり、2年間かけて基本構想、路線選定方針、保全整備計画について調査研究を行い、同55年(1980年)3月にそれぞれ独自の報告書をまとめ、順次事業に着手した。
 「四国のみち」計画の基本理念としては、「人間性を回復するみちを創る。自然と歴史と文化に親しむみちを創る。地域に根ざした人と人とのふれあいのみちを創る。」を挙げている。さらに、「四国の美しい自然、景勝地、四国霊場八十八ヶ寺等を広く巡りながら、四国を一周することを基本とする。失われていく遍路道をできる限り保全し、活用する。」などの基本方針も挙げられている。

 (ア)環境庁ルートと遍路道

 二つある「四国のみち」の一つ「環境庁ルート」は、遍路道を部分的に生かしながら、小規模のループを四国全域にちりばめ、連結させる自然歩道である。昭和56年(1981年)に事業に着手し、平成元年度に全体計画が完了している。全長1,545.6kmのうち約360kmが愛媛県を通っている。
 この環境庁ルートと遍路道とのかかわりは、この環境庁ルートが基本的には八十八ヶ所霊場巡りを目的に入れているわけではないので、八十八ヶ所霊場をほとんど取り入れている建設省ルートとこのルートが重なる部分だけが遍路道といってよい。徳島県では一~十二番、二十~二十三番間での16か寺、高知県では二十七~三十番、三十五~三十九番までの9か寺、愛媛県では四十~五十一番、五十八~六十四番の19か寺、香川県では六十五~六十六番、八十~八十二番、八十八番の6か寺の計51か寺である。従って、この環境庁ルートでも半数以上の札所をカバーしていることになる。また五十八番仙遊寺、八十二番根香寺は建設省ルートは通らず、環境庁ルート上(じょう)にある。
 環境庁ルートは、7年の歳月をかけ平成元年に整備を完了した。遍路をはじめ多くの自然歩道利用者のため、ルート沿いの要所要所に、案内板や道標などが設置された(写真2-2-6)。

写真2-2-6 環境庁ルートの施設-道標・地名板・案内板・休憩所

写真2-2-6 環境庁ルートの施設-道標・地名板・案内板・休憩所

内子町富浦にて。大洲市如法寺河原にて。平成13年2月撮影