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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(2)主な祭事と自然

 ア 七草(ななくさ)

 1月7日に七草菜を食べる起源については、『荊楚歳時記(けいそさいじき)』に正月七日七種(くさ)と記され、804年の皇太神宮儀式帳にあるものが、儀式として執行された初めてのものである(①)。
 平安時代の初めは皇室の神事として行われ、当時は羹(あつもの)すなわち七草を入れた吸物だといわれている。
 七草の種類は、いろいろ議論があるが、四辻左大臣が歌った歌に出てくるものが一般に認められているようである。セリ・ナズナ・御行(ご(お)ぎょう)(ハハコグサ)・はこべら(ハコベ)・仏の座(タビラコ)・すずな(カブ)・すずしろ(ダイコン)の7種で、すずな、すずしろ以外は野生の植物である。
 七草のねらいは、1月7日に7種類の新菜(わかな)を入れた吸物をいただくことによって、邪気を除くというもので古代中国に起源がある。日本に伝わってからは地域でいろいろと変化したものと思われる。平安時代には産土(うぶすな)神や祖霊に供えるものであった。
 最初は皇室の神事であった七草も、室町時代になると民間に波及し、米を入れて炊くようになって粥(かゆ)になった。
 いつの頃からか、「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地へ渡らぬさきに、七草なずな手に摘み入れて」と歌いながら、すりこぎと火箸とで叩いたものを雑炊にして食べ、一家の健康と安全を祈るようになった。
 この歌の意味は、中国から渡ってくる鳥が伝染病を運んでこないうちに、七草を食べて一家の安全を祈るという説と、鳥追いの行事が七草粥の行事と結びついたとする説に分かれる。
 越智郡の島々では、この歌が少し変化しており、大三島町宮浦では「なずなに花咲く、こがねにみのる、唐土の鳥と日本の鳥と渡らんうちに」と唱え、伯方町では、「唐土の鳥が渡らぬ先に、なずな七草カチカチ」という。上浦町では「セリは千株、なずなは七株、黄金に実がなるトートー」と唱えるらしい。どの歌にも、豊年と一家の健康、家運長久を祈る心が込められているように思える。
 七草粥は、江戸時代に七草節句の制度として普及し、明治6年1月に制度は廃止されたものの、七草の行事は現在まで生き続けている。
 七草粥に入れる材料は、島によって違っていて、上浦町ではセリ・ナズナ・ダイコン(葉)・サトイモに豆腐。宮浦はオダナ・セリ・オオバコ・ホウレンソウ・ナズナ・ハコベ、弓削町は七草をといった状況である。多分、島で手に入り易い植物を選んだのであろう(表2-3-1参照)。
 近頃のグルメブームの中で、本物の七草を探してみよう、食べてみようというムードが高まって七草粥が見直され、また、ウォーキングやマラソンの後で七草粥を食べようという催しもあちこちに起こっているようである。健康づくりに大変結構である。

 イ 地祝(じいわ)い(1月11日)

 大三島町では、屋敷地の田畑に祭り場をつくって地祝いを行い、五穀豊じょう・家内安全を祈願する。
 かや(ススキ)の1本を立て、さい銭・イカ・コンブ・鏡餅の割ったものを、半紙で包んでつるす。もう1本のかやの先を30cmほど切って、御幣(ごへい)を挿んで立てる。この御幣は正月の供え物に使ったものである。この2本のかやの前に、三方に米と酒を載せて供える。
 10日の晩に地祝いをするので、翌朝子供たちが先を競って御幣と紙包みを貰いに行く。米と酒は、後で土地に振りまく。
 地祝いのこしらえ方は地域によって多少異なり、切った鏡餅、神棚に供えた柿・いわし・いりこであったり、11日の早朝に行ったりするが、地の神に1年の豊作・安全を祈ることは同じである(④)。
 上浦町、伯方町は大三島町の地祝いとほとんど同じであるが、弓削町ではダイコンを輪切りにした上に、干し柿の切り身・豆・甘酒などを置き、細い棒に御幣を結び付けて田に供える。同時に、農具の手入れをして豊作を祈る(⑤)。また、岩城村では農具を祭って神酒(おみき)を供える。作物を産み出す大地に祈り、農具に感謝する行事である(⑥)。
  正月に家の中で行った祈願を、現地であらためて行うものといえよう。

 ウ 節分

 立春の前日が節分であるが、福を呼び込み、鬼(悪霊・災厄)を追い払う豆まきが、行事として各地で行われる。
 大三島では、おにぐい(タラノキ)を長さ10cmくらいに切って先を割り、まめしば(マサキ)とイワシを挿んで家の入口につるす。
 伯方町では、マサキの代わりにトベラやウバメガシを使う。
 弓削町では、タラノキにイワシの頭を挿して、戸口や窓に取り付ける。
 暗くなると、家主が、神棚に供えておいたいり大豆の一升枡を持ち、バベ(ウバメガシ)の青葉をかまどでパチパチと燃やして勢いをつけながら、神棚に始まって各部屋を「福は内」と連呼し、門口では「鬼は外」と叫んで戸を締め、氏神様と御先祖様を拝んだ後、一家団らん、各自年齢の数だけ豆を食べる。
 節分の豆まきで、鬼ぐい(タラノキ)を用いるのは、タラノキの強固な刺(とげ)で鬼を防ぐためとか、鬼ぐいを鬼に見立てて、イワシの臭気で家に入れないとか、鬼ぐいの刺で鬼の目を突くなど、いろいろ説明されるが、昔の「新年の初日」である立春の前夜に悪霊や災厄を払うための作法であった。マサキやウバメガシの肯葉を燃やして「パチパチ」音を立てて、鬼を退散させるという思い付きは素朴で面白い。古代人が、自然と共に生きた姿を思い浮かべることができる。

表2-3-1 七草の生育場所と効用(カブとダイコンを除く)

表2-3-1 七草の生育場所と効用(カブとダイコンを除く)