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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(1)伊予八藩の成立と島々

 慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いによって覇権を握った徳川家康は、慶長8年(1603年)江戸に幕府を開いた。伊予国では17世紀前半にかけ宇和島藩・大洲藩・新谷藩・松山藩・今治藩・小松藩・吉田藩・西条藩の8藩が成立した。
 芸予諸島のうち松山藩領越智島には、大三島・岩城島・生名島・岡村島・大下(おおげ)島・小大下(こおおげ)島等17か村が属し、今治藩領には弓削島・伯方島・魚島・大島などが属していた。
 忽那諸島(風早島)は大洲藩領と松山藩領とに二分され、大洲藩領には睦月島・怒和島・中島の大浦・小浜(おばま)・粟井・宇和間(うわま)の6か村が属し、松山藩領には興居島・野忽那島・二神島・津和地島・中島の長師・宮野・神浦・畑里(はたり)・饒(にょう)・吉木(よしき)・熊田(くまだ)の10か村が属した。その後、安永9年(1780年)粟井村・小浜村・大浦村の半分が天領(幕府直轄領)となり、忽那諸島の領域は一層複雑になって、双方領民間の対立の要因ともなった。