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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(3)伯方塩田の現在

 現在伯方塩田の跡地は、「特殊用塩」を生産する「伯方塩業」・「伯塩産業」、クルマエビ等の養殖を行う「バイ・エヒメ(前エヒメ水産)」・「北木(きたき)水産」・「ふじた水産」等の会社が利用している。各会社とも塩田存続運動に関わったり、元塩田所有者であった人々が創業または関係しているので、伯方塩田のその後と現在の状況を、聞き取りに基づいて簡略にまとめてみた。

 ア 伯方塩業株式会社

 昭和48年創業、「特殊用塩」の生産を行う。
 聞き取り対象者 **さん(昭和16年=1941年生まれ、50歳)
 「私は大洲の生まれで、農家の長男として酪農等をやってきました。若い時からいくぶん頑固なところがあり、自分が納得した農業をやっていきたいという行動が、自分でも思いもかけなかった今の仕事に結び付いてきました。
 昭和45年に香川県の製塩業者であった西本友康(にしもとともやす)氏から、イオン交換樹脂膜法による製塩では(それまでの塩田に比べ)有益な成分を含むニガリが非常に少なくなってしまうのではないか等の教示を受け、日本CIという私の所属していた団体が後の『日本自然塩普及会』を結成しました。そこで私達は、当時愛媛県にただ一つ残っていた伯方塩田を存続してもらうよう消費者として専売公社等に陳情を続けたのですが、結局昭和46年の『塩業近代化臨時措置法』の成立により、伯方を含む全国の塩田は廃止されてしまいました。しかしその後専売公社から『特殊用塩』ということで、外国(オーストラリア等)塩田製の天日海塩を公社から購入し平釜で真水再製するなら、民間で(つまり自分たちの責任で)製造してもよいという話しがあり、次善の策としてその実施をはかったのです。
 しかし伯方塩業組合への委託製造の要請も種々の事情があってできなくなり、運動を支持して頂いた方達に責任が果たせないと、私達は頭を抱えました。そこで当時身軽であった私一人が、玄米を炊く圧力釜とふとん袋一つを持って、伯方にやって来ることになったわけです。消費者運動を続けてきた者達で創立した会社の当初は、雇った人々の給料や資材の支払で精一杯で、役員は全員無給で、私一人は島で直接働いているということで雇った人の3分の1ほどの給料で、会社の経営を続けていきました。
 専売塩に比べ、私達の造る『伯方の塩』は人件費等の関係もあって3倍ほど高いのですが、消費者にも受け入れられ生産も順調に伸びてきて、最初の3年で1,000t、現在は約5,000tを越す生産をするようになってきました。昭和51年に従来の敷地では手狭になり、現在の日本専売公社伯方出張所跡地に移転しました。これまでこのような事業は、全国に存在しなかったので、元の塩田労働者の人々の手も借りながら、自分たちの手作りで機械を作ったり改良したりしてきました。自分の信念に基づいたボランティア的運動が、思いもかけず仕事になってしまいましたが、これからも少しでもおいしい安全な塩を作るよう努力していきたいと思っています。」

 イ 伯塩産業株式会社

 昭和52年創業、「特殊用塩」の生産を行う。
 聞き取り対象者 **さん(昭和20年=1945年生まれ、47歳)
 「私の父は、この伯方の塩田所有者でした。伯方塩業組合の役員さんとの関係で現在の会社を設立し、『調理の塩』の名称で販売しています。今は兄弟3人の経営で、従業員は15名です。昭和61年に旧塩田跡地の現在の場所に移りました。日本たばこ産業を通じて、外国産の天日原塩を平釜で再製し生産しています。つけものやたらこ等を扱う食品問屋や生協に納入し、現在年間約1,000tの生産高です。値段は専売塩の3倍ほどですが、厳しい品質管理をし、少しでもおいしい塩を作ろうと努力しています。自然食ブームの中で、消費者の方々にも受け入れられ、成長を続けることができました。今後他企業の進出も考えられ、厳しい面も出て来るかも知れませんが、経営努力を続け会社の発展を図っていきたいと思っています。」

 ウ 北木水産

 昭和47年創業、クルマエビ・ヒラメの養殖及びかまぼこ生産を行う。
 聞き取り対象者 **さん(昭和18年=1943年生まれ、48歳)
 「今の会社名の『北木』は、伯方島出身の祖父や父が岡山県の北木島で石材の採掘販売(伯方は江戸時代から現在まで石工の出稼ぎが多い)をしながら、それにより得た資金をもとに郷里で塩田を購入した関係からつけました。塩田の廃止の時の転換補償資金をもとに、自分たちの資金も足して、兄と私が自分たちの持っていた塩田の跡地をそのまま養殖場に改良し、会社を創業しました。
 くるまえび養殖は藤永元作博士が独目に研究を進め、昭和30年代に企業化に成功したものです。藤永先生のもとに、香川県と山口県が先進地として塩田跡地で養殖をしてました。塩田の廃止の際に、どのような方向に転換していくべきかということで、伯方から8名ほど山口県に見学にいきましたが、当時は養殖がまだ企業化に成功できるかどうかもはっきりせず、島内の造船会社等に土地を購入してもらえるのではないかという期待もあって、他の人たちは進出を止めました。我々兄弟は若かったこともあり、自分たちで何かを生み出してみたいという気持ちもあって、思い切ってこの事業を始めたわけです。
 すでに香川・山口でやっていたといっても、最初は何もかも手さぐりで、どんな餌が一番いいのか、餌をどのくらいやればいいのかもじゅうぶんわからず、水の管理はどうするのか、生きたまま届けるために詰めるおがくず(砂の代わり)の温度はどのくらいか等、わからないことだらけで、販売先出荷先の開拓も含め、種々苦労や失敗を積み重ねてきました。しかし、おかげさまで創業当時6tであった生産高が、昭和55年には30t台になり57年には40tを越しました。その後、ふじた水産さんや大三島の宗方(むなかた)でも、くるまえび養殖を始めました。
 現在従業員は約20名で、売上高は2億円ほどになります。出荷先は飛行機によって東京大阪の市場に出すのが主です。百貨店の贈答品や郵便局のふるさと便でも出荷しています。ただ最近の問題は全国的に(土地が老化しているのか、水質の問題か原因がはっきりしませんが)稚(ち)えびから成虫への歩留(ぶど)まりが悪く、生産量が落ちていることで、何とかしなければと思っています。現在はくるまえびにとどまらず、ヒラメ養殖やかまぼこ生産を行い、経営の多角化を図っています。」

 エ ふじた水産

 昭和50年創業、クルマエビ養殖を行う。
 聞き取り対象者 **さん(昭和11年=1936年生まれ、55歳)
 「私の父が北浦と古江の塩田所有者でした。私は銀行員でしたが、サラリーマンを辞めて何か新しい事業を起こしたいと思っているところに、塩田の廃止があり、その土地の活用を種々模索し、現在の仕事に取り組むようになったわけです。最初のころはあまり商売にならなくて、経営上の苦労もずいぶんありましたが、そのうち市場からも引合いが来るようになりました。現在の売上高は3億円前後で、従業員は20名です。北木さんと同じく、生産量の低下をいかにくいとめるかが今後の課題です。」

 オ バイ・エヒメ

 昭和48年創業、昭和54年エヒメ水産株式会社設立、平成3年バイ・エヒメに社名変更。マダイ、トラフグ、クルマエビ等の養殖用種苗生産、活魚販売を行う。
 調査対象者 営業部長さんより資料提供(平成3年7月現在)を受けた。

従業員 85名(本社伯方町、東京・大阪・長崎・松山に営業所・販売店・出荷センターを持つ。)
売上高等 平成2年度売上高 約29.3億円、種苗生産数 1,300万匹。
種苗生産 マダイ、トラフグにおいては業界トップで、現在までにさらにヒラマサ、シマアジ、ハタ等の種苗開発に成功。
現在と今後 各地の大学水産学部出身の若干中心の従業員で、バイオ・テクノロジーを含めた技術開発に積極的に取り組んでい
     る。従業員の出身は全国に渡っているが、みな伯方に定着している。採卵から魚販売までの一貫体制の樹立と、マク
     ロ等の新種苗開発を進めている。将来は伯方沖に海洋牧場のパイロットファーム建設を目指している。