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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

1 越智・忽那両諸島の位置

 瀬戸内海には、三千余の島が点在している。愛媛県に属する島の大半は、瀬戸内海のほぽ中央に位置し、広島・愛媛両県にまたがる芸予諸島の一部をなす越智諸島と、広島・山口両県に接し、松山市北西部の海に浮かぶ忽那諸島とに含まれる。
 越智諸島の経緯度は、およそ東経132°52′~133°22′、北緯34°05′~34°18′の範囲にあって、燧(ひうち)灘と安芸(あき)灘・斎(いつき)灘とを境にする。この越智諸島はすべて越智郡に属し、愛媛県の北端に位置する。主な島は、北より弓削島、生名(いきな)島、岩城(いわぎ)島、大三島、伯方島、大島と並ぶ。このほかに、豊(とよ)島、佐島、赤穂根島、津波(つば)島、津島、魚島、高井神島、大下(おおげ)島、小大下(こおおげ)島、岡村島、四阪(しさか)島など50余の島がある。これらの島のうち、弓削島、佐島、豊島、生名島、岩城島、赤穂根島、津波島、魚島、高井神島、江ノ島などを上島(かみじま)諸島と呼ぶことがある。
 一方、忽那諸島は、安芸灘・斎灘と伊予灘とを境とする島で、松山市と温泉郡中島町に属する。松山市に属する島は、釣(つる)島と興居島の2島である。中島町に属する島は、野忽那(のぐつな)島、睦月(むづき)島、中島、怒和(ぬわ)島、津和地(つわじ)島、二神島の有人島6島と22の無人島で構成されている。これらの島の経緯度は、ほぼ東経132°30′~133°45′、北緯33°40′~34°05′の範囲にある。忽那諸島は周防(すほう)大島諸島と合わせて、防予(ぼうよ)諸島を構成している。また、中島町の有人島6島と松山市の興居島を含めた7島を忽那七島と呼び県民に親しまれている。興居島のかわりに山口県岩国市の柱(はしら)島を含めていたこともある。
 ところで、潮流の速さとも関係の深いものとして、瀬戸内海には「灘」と「瀬戸」がある。国土地理院の2万5千分の1の地形図によると、灘には伊予灘、斎灘、安芸灘、燧灘、備後灘があり、瀬戸には豊予海峡の速吸(はやすい)瀬戸、防予諸島の津和地瀬戸(津和地島-怒和島)、二子瀬戸(怒和島-二神島)、部屋ノ瀬戸(怒和島-中島)、瀬木戸海峡(中島-睦月島)、芋子瀬戸(睦月島-野忽那島)、釣島水道(睦月島-興居島)、小瀬戸(釣島-興居島)、四十島瀬戸(興居島-松山市高浜町)、芸予諸島の来島瀬戸(来島-小島)、小大下瀬戸(岡村島-小大下島)、大下瀬戸(小大下島-大下島)、鼻栗(はなぐり)瀬戸(大三島上浦町-伯方島)、船折(ふなおれ)瀬戸(伯方島-鵜島)、長江瀬戸(岩城島-生名島)、長崎瀬戸(生名島-因島土生(はぶ)町)、弓削瀬戸(因島-弓削島-佐島)がある。
 「灘」海域はブロック断層運動により沈水した海域で、宇和海の出入りの多いリアス式海岸とは著しく対照的で単調であり、水深も伊予灘では長浜沖30m、松山沖20m、燧灘では20mと比較的浅く、海底は砂泥質が主体である。
 一方、「瀬戸」は島と島とを結び、さらに「灘」へ通じる水道で、潮流も速く渦潮を発生させる海域で、水深は灘より深く、最深部の深さは、速吸瀬戸で300m、釣島水道で107m、来島海峡で73mあり、海底は岩礁が主体となっている。昔から交通の難所で、船の遭難も多い海域である。
 忽那諸島・越智諸島ともに海上交通路の要所として発展したところであり、この地の人は複雑な地形や潮流を熟知し、高度な操船技術を身に付け、各地との交流・潮待ち・風待ちで寄港する船からの情報・文化の吸収などに努め、文化的・経済的に、早くから開けたところでもある。