生涯学習愛媛 bR4(平成8年8月発行)
私の思うこと【講師紹介】

ない袖を振る
    愛媛県生涯学習推進講師
三浦 和尚
指導分野●近代文学
住   所●松山市
現   職●愛媛大学教育学部教授

 私の本職は国語教育学なのだが、研究の必要上、近代文学に片足の指一本くらい突っ込んでいたら、いつの間にか近代文学の研究者のような舞台を与えられてしまっていた。ある意味では運命のいたずらである。
 おかげで県内のあちこちの文学講座に出させていただくのだが、なにしろ浅学の身、いつも冷や汗三斗。当日前夜は入試前日の受験生のごとき心境、というのは表現が多少オーバーであるにすぎない。
 分不相応の仕事というのは、当然人様にご迷惑をおかけする。何十人もの人達のそれぞれの1、2時間を、かくも無駄に過ごさせるのは罪以外の何者でもなく、自責の念なみなみではない。
 しかし−とポーズを置く。この文章は太宰治の文体を意識しているのだ。
 私より年長の方の多い場で文学を語るということになると、自分ひとりで読むのとは違う読みを要求される。それは、自分の読みをいつも第三者にチェックされているようなもので、すると、こんなことを言うと今まで私の話を聞いて下さった方には申し訳ないのだが、この年になって自分の「読む力」がまだ伸びているような気がしてきた。読みの視点が自分の中で整理されてきているようにも思う。
 とすると−ここから先は醜い自己弁護にすぎぬ−逆に、私の文学の読み・楽しみをお聞きくださる方の中にも、私の話を自身の読みと対照し、批判しつつ、新しい読みを発見し、読みを深める方もあるかもしれない。ああ、私はその一点にすがって、あの恥ずかしく、罪深い己の所作を正当化するより他ないのだ−だんだん太宰らしいキザな言い回しができるようになってきた。これも私の成長か。
 
 生涯学習講師という活動は、もしかしたら私自身の生涯学習なのかもしれない。

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