| 明治3(1870)年11月17日 |
大洲県喜多郡大洲町(現大洲市)に生まれる。 |
| 明治22(1889)年 |
東京専門学校(現早稲田大学)英語普通科を卒業。 |
| 明治26(1893)年 |
バンダビルト大学神学部を修了。 |
| 明治28(1895)年 |
西バージニア州立大学ロースクールを修了。 |
| 明治29(1896)年 |
エール大学法学修士を取得、エール大学助手に採用。 |
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連邦政府弁護士免許を取得。 |
| 明治30(1897)年 |
エール大学ロースクールから民事法博士号を取得、日本へ帰国。 |
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ジャパンタイムズに入社、外務省の委嘱によりシャム(現タイ)国に赴任。 |
| 明治31(1898)年 |
シャム国刑法第一次草案を作成。 |
| 明治36(1903)年 |
東京帝国大学より法学博士号を取得。 |
| 明治38(1905)年 |
シャム国王ラーマ5世より白象第三勲章を賜る。 |
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チカー裁判所(最高裁)裁判官に就任。 |
| 明治44(1911)年 |
シャム国王ラーマ6世よりピヤー爵を受領、プラヤー・マヒトーンマヌーパ
コーン・コーソンクンの欽賜名を賜る。
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| 大正4(1915)年 |
政友会入党、第12回衆議院議員選挙に喜多・上浮穴から当選。
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| 大正6(1917)年 |
衆議院特派議員団団長として北米に派遣される。 |
| 大正8(1919)年 |
衆議院特派議員団団長として東南アジアに派遣される。 |
| 大正9(1920)年 |
シャム国特命全権公使(高等官二等)に任命される。 |
| 大正10(1921)年8月11日 |
バンコクの公邸で脳溢血により永眠。葬儀に国王ラーマ6世参列。 |