愛媛の偉人・賢人の紹介
柳原 極堂 やなぎはら きょくどう (1867〜1957)

 俳人。新聞記者。松山城下(現松山市)出身。本名正之。松山中学校(現松山東高等学校)に入学し、3年上級の正岡子規を知り、以降「文友」として交際する。子規が病気療養のため帰省し、愚陀仏庵に寄寓の際は日参して指導を受けた。極堂らの俳句活動は、子規の日本派俳句の最初の結社となり、俳誌『ほとゝぎす』、『鶏頭』を創刊、子規吟行集「散策集」などを発表した。また「松山子規会」を結成し、『友人子規』などを著し、正岡子規の研究・顕彰に余生を捧げた。一方で、松山市議会議員として地方自治の振興と産業の発展に尽くし、また新聞社を起こして教育文化の振興に寄与した。

略歴
慶応3(1867)年2月11日 松山城下北京町(松山市)に、松山藩士柳原正義の長男として生まれる。
明治14(1881)年 松山中学校(現松山東高等学校)に入学。正岡子規と知り合い、親交を深める。
明治16(1883)年4月 中退して東京に出て、共立学校(現開成学園)に入学。
明治23(1890)年 帰郷して海南新聞社(現愛媛新聞社)に入社。
明治27(1894)年 「松風会」に参加。
明治30(1897)年1月15日 俳誌『ほとゝぎす』を創刊。
明治32(1899)年 松山市議会議員に当選。
明治39(1906)年 「伊予日々新聞」を発刊。
大正13(1924)年 村上霽月らと「子規居士遺跡保存会」を創設。
昭和7(1932)年 東京で俳誌『鶏頭』を創刊。同誌に子規吟行集「散策集」などを掲載。
昭和18(1943)年1月19日 「松山子規会」を結成。
昭和32(1957)年10月7日 90歳で永眠。

<関連図書>
  • 柳原極堂『友人子規』 前田書房 1943年
  • 鶴村松一『柳原極堂 −伊予路の文学遺跡散歩−』 松山郷土史文学研究会    1980年
  • 柳原正春『父極堂』 父極堂頒布会 1983年
  • 和田茂樹『愛媛文化双書36 子規と周辺の人々』 愛媛文化双書刊行会 1983年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 文学』 愛媛県 1984年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
  • 愛媛子どものための伝記刊行会『愛媛子どものための伝記 第20巻 正岡子規・内藤鳴雪・柳原極堂』 愛媛県教育会 1989年
  • 二神將『子規の文友 柳原極堂の生涯』 松山子規会 1997年
(写真提供:松山市立子規記念博物館)

愛媛県生涯学習センター:TEL 089-963-2111(内線110)
掲載情報の無断転載を禁じます。