| 弘化4(1847)年4月15日 |
江戸(現東京都)松山藩邸に生まれる。 |
| 安政4(1857)年 |
父の帰郷とともに、松山に帰る。 |
| 慶応元(1865)年 |
藩主松平定昭の小姓となる。 |
| 明治元(1868)年 |
京都に遊学。 |
| 明治2(1869)年 |
東京に出て、昌平黌に学ぶ。 |
| 明治3(1870)年 |
権少参事学校掛に任命され、藩校明教館の刷新などを行う。 |
| 明治5(1872)年10月 |
学制頒布により、石鉄県学区取締役に就任。 |
| 明治8(1875)年 |
県令岩村高俊に抜擢され、愛媛県学務課長となる。 |
| 明治9(1876)年 |
松山に師範学校を創立。また、草間時福を招き、松山に変則中学校を創立。 |
| 明治13(1880)年7月 |
文部省に転任。 |
| 明治24(1891)年4月 |
文部省を退官し、常盤会寄宿舎監督となり、正岡子規と知り合う。 |
| 明治40(1907)年 |
常盤会寄宿舎監督を秋山好古に譲り、俳句に専念する。 |
| 大正15(1926)年2月20日 |
東京麻布の自邸で80歳で永眠。墓所は東京都港区の青山墓地。 |