愛媛の偉人・賢人の紹介
内藤 鳴雪 ないとう めいせつ (1847〜1926)

 俳人。江戸(現東京都)の松山藩邸に、藩士の長男として生まれる。幼名は助之進、後に素行と改める。明治初期の教育行政に携わり、県内の小・中・師範学校の設立に尽力した。後に、東京で学ぶ松山出身の学生たちの寮である常盤会寄宿舎の監督となる。その時、正岡子規らが在舎していたので、感化を受け俳句の道に入る。洒脱尚古(俗気がなく、昔風)の漢詩的情趣の句を得意とした。

略歴
弘化4(1847)年4月15日 江戸(現東京都)松山藩邸に生まれる。
安政4(1857)年 父の帰郷とともに、松山に帰る。
慶応元(1865)年 藩主松平定昭の小姓となる。
明治元(1868)年 京都に遊学。
明治2(1869)年 東京に出て、昌平黌に学ぶ。
明治3(1870)年 権少参事学校掛に任命され、藩校明教館の刷新などを行う。
明治5(1872)年10月 学制頒布により、石鉄県学区取締役に就任。
明治8(1875)年 県令岩村高俊に抜擢され、愛媛県学務課長となる。
明治9(1876)年 松山に師範学校を創立。また、草間時福を招き、松山に変則中学校を創立。
明治13(1880)年7月 文部省に転任。
明治24(1891)年4月 文部省を退官し、常盤会寄宿舎監督となり、正岡子規と知り合う。
明治40(1907)年 常盤会寄宿舎監督を秋山好古に譲り、俳句に専念する。
大正15(1926)年2月20日 東京麻布の自邸で80歳で永眠。墓所は東京都港区の青山墓地。

<関連図書>
  • 内藤鳴雪『俳句独習』 大学館 1903年
  • 内藤鳴雪『鳴雪俳話』 博文館 1907年
  • 内藤鳴雪『俳句作法』 博文館 1909年
  • 内藤鳴雪『鳴雪俳句集』 春秋社 1926年
  • 内藤鳴雪『鳴雪自叙伝』 青葉図書 1976年
  • 和田茂樹『愛媛文化双書36 子規と周辺の人々』 愛媛文化双書刊行会 1983年
  • 畠中淳『内藤鳴雪』 松山子規会 1985年
  • 愛媛子どものための伝記刊行会『愛媛子どものための伝記 第20巻 正岡子規・内藤鳴雪・柳原極堂』 愛媛県教育会 1989年
  • 『近代作家追悼文集成 第20巻』 ゆまに書房 1992年
(写真提供:松山市立子規記念博物館)

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