愛媛の偉人・賢人の紹介
徳冨 蘆花 とくとみ ろか (1868〜1927)

 小説家。肥後国葦北郡水俣(現熊本県)出身。本名健次郎。兄の徳富蘇峰の設立した民友社に入社し、校正や翻訳に携わり「国民新聞」の編集も手伝った。やがて「国民新聞」連載の「不如帰」で人気を博し、自立した。『黒い眼と茶色の目』に今治での生活のことを述べてあり、また、『思出の記』では、今治でのことを宇和島でのこととして描いている。兄蘇峰と仲が悪くなったが死の直前和解した。現在、東京都世田谷区の蘆花恒春園内の蘆花記念館、群馬県伊香保町の徳冨蘆花記念文学館があり、資料展示がされている。

略歴
明治元(1868)年10月25日 肥後国葦北郡水俣(現熊本県)に生まれる。
明治11(1878)年 蘇峰に連れられ京都に行き、同志社英学校(現同志社大学)に入学。
明治13(1880)年 同志社を退学して熊本に帰郷。
明治18(1885)年 姉とともにメソジスト教会で洗礼を受ける。
従兄のいる愛媛県の今治に移り、四国初の教会で伝道に従事し、そのかたわらで英語の教師として町の青年たちに教える。
明治19(1886)年 京都に移り、同志社英学校に再入学。
明治21(1888)年 熊本の熊本英語学会(やがて熊本英学校と改称)の教師になる。
明治22(1889)年 上京して蘇峰の経営する民友社に記者として入社。
明治23(1890)年 国民新聞社に配属。翻訳や評論、短編小説などを発表。
明治31(1898)年11月 「国民新聞」に「不如帰」を連載開始(明治32年5月まで)。
明治33(1900)年1月 「国民新聞」に「おもひ出の記」(のち「思出の記」と改題)を連載開始(明治34年4月まで)。
明治39(1906)年 聖地パレスチナへの巡礼に出て、ロシアでトルストイを訪問。
明治44(1911)年 大逆事件の判決に憤り、歎願文を書いたり、講演を行う。
大正2(1913)年 「国民新聞」に小説の連載を始めたが、突然中止し、以後死直前まで兄の蘇峰と絶交状態。
大正7(1918)年 旅行の途中で愛媛県今治町(現今治市)を訪問。
大正8(1919)年1月 夫妻で世界一周旅行に出発(大正9年3月帰国)。
昭和2(1927)年9月18日 兄蘇峰と対面して和解。その夜60歳で永眠。墓所は、東京都世田谷区の蘆花恒春園にある。

<関連図書>
  • 徳冨蘆花『蘆花日記』 筑摩書房 1985年
  • 愛媛県百科大事典編集委員室『愛媛県百科大事典』 愛媛新聞社 1985年
  • 徳冨健次郎『黒い眼と茶色の目』 岩波書店 1987年
  • 河野仁昭『蘆花の青春 その京都時代』 恒文社 1989年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
  • 阿部軍治『徳富蘆花とトルストイ−日露文学交流の足跡−』 彩流社 1989年
  • 徳冨蘆花『不如帰』 スタイラス社 1990年
  • 徳富蘇峰『弟徳冨蘆花』 中央公論社  1997年
  • 徳冨蘆花『徳冨蘆花集』 日本図書センター 1999年
(写真提供:蘆花恒春園)

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