| 明治元(1868)年10月25日 |
肥後国葦北郡水俣(現熊本県)に生まれる。 |
| 明治11(1878)年 |
蘇峰に連れられ京都に行き、同志社英学校(現同志社大学)に入学。 |
| 明治13(1880)年 |
同志社を退学して熊本に帰郷。 |
| 明治18(1885)年 |
姉とともにメソジスト教会で洗礼を受ける。 |
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従兄のいる愛媛県の今治に移り、四国初の教会で伝道に従事し、そのかたわらで英語の教師として町の青年たちに教える。 |
| 明治19(1886)年 |
京都に移り、同志社英学校に再入学。 |
| 明治21(1888)年 |
熊本の熊本英語学会(やがて熊本英学校と改称)の教師になる。 |
| 明治22(1889)年 |
上京して蘇峰の経営する民友社に記者として入社。 |
| 明治23(1890)年 |
国民新聞社に配属。翻訳や評論、短編小説などを発表。 |
| 明治31(1898)年11月 |
「国民新聞」に「不如帰」を連載開始(明治32年5月まで)。 |
| 明治33(1900)年1月 |
「国民新聞」に「おもひ出の記」(のち「思出の記」と改題)を連載開始(明治34年4月まで)。 |
| 明治39(1906)年 |
聖地パレスチナへの巡礼に出て、ロシアでトルストイを訪問。 |
| 明治44(1911)年 |
大逆事件の判決に憤り、歎願文を書いたり、講演を行う。 |
| 大正2(1913)年 |
「国民新聞」に小説の連載を始めたが、突然中止し、以後死直前まで兄の蘇峰と絶交状態。 |
| 大正7(1918)年 |
旅行の途中で愛媛県今治町(現今治市)を訪問。 |
| 大正8(1919)年1月 |
夫妻で世界一周旅行に出発(大正9年3月帰国)。 |
| 昭和2(1927)年9月18日 |
兄蘇峰と対面して和解。その夜60歳で永眠。墓所は、東京都世田谷区の蘆花恒春園にある。 |